IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男
IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男

職能集団としてのチャム

13世紀のカンボジアのアンコ-ル王朝の生活を記録した中国人、周達観による「真臘風土記」(和田久徳訳注/平凡社)には、当時チャンパの国からアンコ-ルに織布が入ってきていることが書かれている。中国の3世紀ごろに記された古書、「南州異物志」(『太平御覧』820年所収)の中に、五色の斑布として、木綿の絣と思われる布が南蛮諸国(東南アジア)に於て作られていたことが記されている。これらのことは、チャンパ国とよばれた人々の中に古くから織物の伝統があったことを示しうる物である。1471年チャンパの首都ビィジャヤが陥落した後、チャムの人々はカンボジアに逃れアンコ-ルの王の保護下に入った。そして、一部のチャム人はアンコ-ルを攻めたアユタヤ王国に迎えられて移住している。男達は南海貿易の船乗りとして活躍した伝統を生かして、王宮防衛軍となって新しい王に仕え外人部隊として活躍した、また、女達は伝統の織物に励むのである。彼等は職能(技能)集団として、それぞれの王朝に迎え入れられている。アユタヤ王朝がビルマ軍侵入により滅亡した後は、一部は新たに起こったラタナコ-シン王朝の水軍となって、現在のバンコクに移住している。かのタイシルクを有名な布として世界的に広めたジム・トムプソンが注目しパ-トナ-とした織手たちが、このバンコクに暮らすチャ
ムの人々の末裔であった事は意外と知られていない。

カンボジアのメコン河沿いに、ベトナムのメコンデルタの中で、そしてタイのバンコクの喧騒の中で、それぞれ暮らすチャムの末裔達。布を織り出す糸のように、流浪の民として、苦難の歴史を背負いながらも職能集団として、また「異教徒」としてのムスリムとして自らを位置ずけながら、国家や王朝にかかわらずしたたかに生き続けてきた人々の姿がそこにはあるように思えた。

更新日時 : 1995年05月16日 09:24

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