IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男
IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男

ベトナムに残るクメールの織物 - 2.サンポット・ホールにひかれて

 今年の 1 月から 5 月まで、絣などに代表されるカンボジアの伝統的絹織物の現状を実地調査する機会に恵まれた。

 これまで 10 数年私は、タイ東北地方に住むクメール系の村人の織る絣にかかわってきた。カンボジアの村をまわるうちに、私はタイの絣のルーツが、東北タイに暮らすクメール系の人々の伝統の中にあること、そしてそれはカンボジアにあったという事実をあらためて実感した。そして、カンボジアで手織物の残る村を訪ね歩くうちに、チャム族ムスリムの女達が織る、サンポット・ホール(クメール語で、サンポットはスカート、ホールは絣のこと)と呼ばれる伝統的なカンボジアの絣に出会った。

 絣の歴史は古く、インドに於ては有史以前にさかのぼるとされている。特にインドのグジャラート地方のパトラと呼ばれる経緯糸絣の布は、12-3 世紀の熱帯モンスーンに乗った海洋交易の中で、重要な交易品として取り引きされていた。13 世紀には、パトラはマレー半島に輸出されていた記録がある。

 17 世紀になるとイスラム商人に代わって、覇権を手に入れたヨーロッパの商人により、インドネシアやアユタヤの王族との交易品として持ち込まれた。パトラは、余りにも精緻で複雑な制作工程とその柄に織り込まれた宗教的意味合いとにより神秘的な布とみなされ、当時の王族や上流階級の社会的、宗教的必需品として位置ずけられた。

 18 世紀には、パトラ写しと呼ばれる布が、インド以外のインドネシアなどに於ても作られ始めた。カンボジアに於ても、それらの布が織られ、アユタヤへの交易品とされていた。今日、カンボジアに伝わるサンポット・ホールがその流れをくむものであることは間違いないであろう。しかし、インドおけるパトラが、平織り組織で織られているのに対して、カンボジアの緯糸絣は綾織である。このことはカンボジアにおける絣が、影響を受けながらも、柄・技法に於ても独自に発展してきたことを物語る。

 チャムのムスリムの女たちはカンボジアの絣以外にも、ムスリムのための木綿とシルクの混織のサローン(腰布)を織り、それを同じイスラム教徒のマレーシアにも、これもまたムスリムの仲買人を通じて販売している。カンボジアに住むチャムの人達は約 6 万人、クメールの人達とは違うイスラム社会独自のネットワークを持ちながら生活し、主にメコン河やトンレサップ湖に通ずるトンレサップ川沿いに集落を作って暮らしている。主に漁業に従事し、農業中心の地域のクメール人とは職の住み別けがなされていた。

 だが、ポルポト政権 (1975-1979) によるクメール民族主義と宗教の否定により弾圧の対象となりチャム語は禁止され多くのイスラーム指導者も多数処刑され、民族差別に抗議したチャム族ムスリムも大量に処刑されたという。約 2 万人は難民となってカンボジアを去り、アメリカやフランスあるいは同じムスリムのネットワークを通じてマレーシアに受け入れられた。弾圧前には 15 万人いたとされるチャムの人々も、今は 6 万人が残るのみである。

 カンボジア絣の調査の過程で、ベトナムのメコンデルタにも古くからチャム・ムスリムの人達が暮らしているらしい事もわかった。メコン河中流沿いに広がるタイ東北地方の、その支流にあたるムーン河沿いに暮すクメールの人達とカンボジアのクメールの人々、そしてメコン河の流れに沿ってカンボジアに暮らす、チャムの人達とベトナムのチャムの人々。

 それぞれの国に暮らすそれぞれの人々が、メコン河の流れと織物を軸にして、突然繋がり始めたように私には思えてきた。そして、ベトナムのメコンデルタに暮らすチャムの人々とその織物に出会うために、私はチャウドックを目指しているのだ。

更新日時 : 1995年5月16日 09:10

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