IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男
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ベトナムに残るクメールの織物 - 4.国境の町チャウドック

 ロンスエンから約一時間半、チャウドックについたのは朝 10 時半頃である。途中すれ違うオートバイや車も多く。屋根にまで荷物を満載にした、ホーチミンやデルタの町カントーとの間を行き来する長距離バスに何度か出合う。町の入口には大きなバスターミナルがあり、正直、想像していたよりも大きな町だった。タイの農村部の郡庁所在地クラスの町よりも、店の数品物共に多く、町としての体裁を保っている。現在のカンボジアであればさしずめ県庁所在地クラスである。メコンデルタの中でも、交易の要所として古くから発展してきたのであろう。また、それを支えるだけの商いがそこには有るのであろう、まさにメコンの恵みを感じさせる。

 町はソンハウ(もしくはハウザン)と呼ばれる川に面して広がっている、この川はメコン河の支流でプノンペンから始まるバサック川のベトナム名である。カンボジアとの国境まではあと数キロである。町の中心からは少し離れているが、ハウザン(川)沿いに、ハンチャウという立派なホテルがある。ロビーに続くレストランからは、川沿いの町が一望でき、川からの風が涼しい。このホテルには、ベトナム人用 (18 $)と外国人用 (32 $)の料金表の他にカンボジア人用 (22 $)の料金表があるのが、いかにもカンボジアの国境の町らしい。町の中心には観音様を祀った一角があり、線香を持った手を高く掲げて熱心に祈る人の姿も見かけられる。ここは町の人々の憩いの場所にもなっているようで、陽が暮れるとベトナム式というのか小さな椅子を並べた屋台が沢山出る。その近くには、古い年代物の鉄骨構造の市場があり、中には屋台が集まったような食事を供する店が所狭しと並んでいる。漢字の表記も見え、再び華僑が公然と自由競争の中で力を発揮していることが見えてくる。市場の品物は豊富で、中国製やタイ製の物も混じっている。また、川沿いには別に生鮮品の市場があり、本当に所狭しと野菜や果物、乾物、肉類等が並んでいる。しゃがんで、竹のザルの中に野菜などを並べて売る人や買い物客の中には、頭にクローマをターバンの様に巻つけたチャム族のおばさんも交じっている。

 街の西南約 5 キロには、サ厶山(ヌイ・サム)と呼ばれる信仰の山がある。その麓には幾つかの仏教系のお寺があり、それぞれ参拝者で賑を見せている。門前町よろしく土産物店や食堂が並び、ベトナム人が遠くからはるばる参拝に来るようである。私が訪ねた時もその一つバァチュア寺では団体で参拝しているグループが、何頭かの飴色に焼かれた子豚と果物の山をお供えしながら、派手はでしく賑やかにお線香を上げている最中であった。

 ここから、西にさらに 20 キロ程行くと、カンボジアのタケオ県に通じる陸路でのチェックポイントがある。その周辺には、ベトナム化したクメールの人々も多く暮らすが、養蚕や織物はすでに 25 年以上前に戦乱の中で途絶えていた。

 川向こうにモスクがあると聞いたので、町のはずれにあるフェリー乗り場からハウザン(川)対岸のジャオザンに渡る。このフェリーは、丁度車一台が乗る大きさで、あとはオートバイが 5-6 台そして 15 人程の乗客でほぼ一杯になる。川幅は広く 500 メートル以上はある。向こう岸に着くと、ペアと呼ばれるムスリムの男がかぶる白い帽子姿の男達が、船着き場の茶店で談笑しているのが目に入る。船着き場のそばにも古いモスクがある。道路沿いにはベトナム人や中国系の家に混じって、木造の高床式の家が並んでいる。家の形は、カンボジアのチャムの村で見かけたものと全く同じ作りで、入口は小さく、梯子のような階段がついている。何軒か古い家もあり、独特の幾何学模様の装飾が施されていて奇麗な形をしている。

 市場のあるチャウドックの中心部では、頭にクローマを巻いたムスリムの女達は見かけたが、ペア姿の男達は見かけなかった。女達の方がやはりたくましいのだろうか、村に帰ってきたところなのか、ポケットからペアを取り出しかぶる男の姿を見かけた。その姿はまだ充分に、自由とは言い切れないこの国の現状なのか、それとも自由になってきたが、変化に上手くまだなじめていない彼等の生活を示しているのだろうか。今年の 5 月 16 日のタイの英字紙バンコクポストは、1975 年以来 20 年間閉ざされていた、ベトナムに住むムスリムのメッカ巡礼がベトナム政府の同意により再開されたことを伝えている。

更新日時 : 1995年5月16日 09:10

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