IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男
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ベトナムに残るクメールの織物 - 7.メコン河を行き来する人々

 サッカリアさん、61 歳。彼は 40 年前、カンボジアのプノンペンに近いカンダール県のやはりメコン河沿いの村から、奥さんの出身地であるこのチャウドックのムスリムの村に、結婚と共に移ってきた。父系原理が優先されるイスラーム法の教えと異なり、チャム社会の強力な母系性に基づく母方居住である。母系性を取るモスリムは、この地域以外にも、マレーシアやスマトラにも暮らしている。それらは国を失ったチャム人の移民先であり、彼等が難民として受け入れられた地域でもある。

 彼と、一緒に暮らしている一番下の娘さんの結婚式の写真を見せてもらった。新郎新婦は、アラブの王様(王妃)のような正装をしている。参列者の何人かは、伝統的なカンカッと呼ぶ絣の腰巻きを着ている人が見られる。その他には、アオザイを着ている人もいるが、多くはマレーシア人と思えるような服装である。80 歳のハワーさんや 60 歳のア・ビタスさん。この二人のおばあちゃんは共に若い頃には、自分や家族のために布を織っていたという、しかしハワーさんは結婚してからは織物をやめてしまったという、ア・ビタスさんは 25 年前、戦争が激しくなってきた頃に、糸が手に入らなくなりそのままやめてしまったという。

 この村で織られた絣や紋織りの布を見せてもらいながらも、彼等の話しの中に、今の若い世代は服装もベトナム化して来たことで、伝統の布を着ることが少なくなってきたこと、そのために外見だけではチャム人かどうかの区別はつかなくなってきたという話しが出た。唯一モスクに行く時に、シェと呼ぶ布を被るだけの、おおらかなムスリムである。

 モハマッドさん 63 歳、彼はプノンペンの近くのムスリムの村に暮らしているが、たまたま私が訪ねた時、この村に来ていた。そして私がカンボジアのコンポムチャム県の村の話しをすると、その村は私が最初に訪ねたチャム・ムスリムの村なのだが、なんと彼は若い頃その村に 10 年程 (1963-1973) 暮らしていたという。その後、このチャウドックの村にも暮らしていたことがある。そして今は、再びカンボジアに暮らしている。彼は、布を市場で仕入れ村を回りながらの行商をしているからかもしれないが、このメコン河を定期的に回っているようであった。コンポムチャムのチャム族の村でもそうであったが、マレー人の商人(仲買人)が定期的に村に訪ねてくることや、家族がマレー人と結婚して今はマレーシアに住んでいる話を聞いた。そして、ポルポト時代に破壊されたモスクの再建のために、マレーシアに寄付を募りにいっている人など、メコン河からマレー半島へ、国家の枠組みを超えた彼等の持つ独自のネットワーク、そんな姿がチャムの人々の姿に重なっていく。

更新日時 : 1995年05月16日 09:10

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