IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男
IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男

カンボジアンオフロード(中編)

プノンペンを出たのは、9月16日。今年の雨季は、雨が少ないと思っていた。が、いざ走りはじめると、行程の半分は雨だった。友人と2台のモトクロスバイクで、どしゃ降りのスコールにたっぷりみまわれた。わたしのバイクは二人乗り。うしろは私よりも一回り大きいカメラマン氏、男三人のドライブだった。誰だ、雨男は。

カンボジアの伝統的な野焼きの壷など、焼き物で有名な、コンポンチャナンの町を過ぎたあたりから、雨はますますひどくなってきた。村の高床式の階下に雨宿り。そのとき、遠くで、ライフルの銃声が聞こえてきた、じょじょに音が近ずいてくる。恐い、一瞬緊張。数日前までの一週間。プノンペン市内は反政府系のデモが街の中で繰り広げられ、警官隊とデモ隊の衝突や、手榴弾が炸裂、多くの死傷者がでた。そのすぐ後だから、なおさらだった。なにごと、とおもいしや、どしゃ降りの中をフルスピードで走りぬけるピックアップトラックの荷台でびしょぬれになった兵士が、空に向けての目くらうちだった。

バイクのたのしさ、雨や悪路でめげれば、村の雑貨屋の軒先で、ひとやすみ。村人と雑談を楽しむという、のんびりドライブ。驚いたことに、村人はプノンペンの町の出来事をほとんど知らなかった。村には、新聞も電気もない。乾電池のラジオから、ながれてくるのは政府系の広報だけ。最近では、車のバッテリーでテレビを見ている家も少なくはない、が町の騒ぎはニュースで画像も流れない。アナウンサーがスタジオで政府の見解を読み上げるだけ。現場のビデオ撮りなどない、そんなのはニュースといえるのかな。だから、実際の出来事は、地方にほとんど伝わるべくもない。というのが、この国の現状なのだということが、このオフロードドライブでしることができた。

思い切りの悪路で、チェーンが何度か外れた。一度は、どうにも直らなかった。道沿いの農家に、牽引用のロープを探しに。そのまま、そこの入り婿さんが修理をしてくれた。田植えも終わった、のんびりしはじめたばかりの農家であった。そこの12歳の娘さんが顔をお多福かぜのようにはらしていた。薬を買う余裕がないという。もう二週間もはれたままらしい。病院といってもこんな辺ぴなところでは、ないにひとしい。そして、行くだけの経済的余裕もない。民間療法の、限られた薬草などにたよっている場合が多い。これまでにも、こんな場面にであったことが、カンボジアでなんどかある。

やっと雨が止んだと思ったら、こんどは道路が渋滞。進むうちに、道沿いに車が数百メートルにわたって、動かないでいる。中には渋滞を避けて、田植えを終えたばかりの稲田を、おかまいなしにあぜ道を走ってくるかっこいい4WDがいたりする。バイクは、すいすい。なんだ、そのさきで、黒山の人だかり。そしてそのさき、突如道が消えている。50メートルほどの長さで、道路が完全に1メートルから2メートルの深さで陥没。大型車の通行に耐えかねて、小さな橋が壊れてしまったようだ。泥沼化した陥没地に、大きなコンクリートの固まりが転がっている。

タイからプノンペンに生活物資を運ぶトラックが、列をなして停滞していた。国道を走る車のほとんどはこの種のトレーラーや大型トラック。そして、プノンペンと国境の町を荷物と人を満載してピストン輸送する小型トラック。

建築資材などだけではなく、石鹸やシャンプー、インスタントラーメン、日常の生活物資のほとんどはカンボジアではまだ生産されていない。そのため、輸入にたよっている。プノンペンの市場では、マレイシアやタイ、そしてベトナム製の日曜雑貨があふれている。

野菜類は、ベトナムから持ち込まれているものが多いと聞いていた。が、日ごろ食べている目玉焼きの鶏卵まで、じつはタイからピストン輸送されていたことを、この目で確かめさせられた。鶏卵までとは驚かされる。しかし、不思議なことに輸送費がかかっていると思えるのに、卵の値段はタイのバンコクと同じ値段の、10個2,200リエル(約73円)。バブルのはじけたタイは、さいきん消費物価がすくすくと上がってきている。そのなかで、不思議なことに、タイから輸入されている食料品で、プノンペンで買ったほうが、バンコクのコンビニで買うより、一割ほど安いものもある。なんなんだ、タイのセブンイレブンは。

国境の町、ポイペットに着いた。そこから歩いて国境を越えた。残念ながら、乗ってきたバイクでバンコクまで、というわけにはいかない。バンコクで盗難にあったバイクがカンボジアに向かって国境を越えることはあっても。正規には、まだ国境を車やバイクで移動することはできない。

私を送った友人二人は、それからシアムリアップ経由でプノンペンにもどった。とちゅう、シソポン-シアムリアップ間が、最悪の道だったと二人は口をそろえていう。私の運転していたオフロードバイクは、道のすさまじさに耐え切れず、途中の大き目の穴ぼこに落ちたショックで、エンジンのケースが割れてしまった。幸い、シアムリアップの町に比較的近いところであった。そして、エンジンオイルを補充しつつ、町に着けた。町のかじ屋で溶接し、プノンペンまで無事とどり着いたという。

その道は、車でだが通ったことがある。道路全面にわたって、穴ぼこがあった。ちょうどその中間地点から北に行く道があり、タイのスリンに通じている。その途中に、昔から有名な手織物の村があり、調査と自然染めの講習会の依頼をうけ、国連(UNDP)のスタッフとたずねた。97年のはじめであった。

(後編につづく)

更新日時 : 1998年10月08日 15:37

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