IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男
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事故の後遺症(前編)

愚痴と、笑い話だとおもってお読みください。

12月の事故から、約3ヶ月たった3月16日。バンコクのG病院で、2度目の脳のCTスキャンを受けた。しかし、CTスキャンで検査の結果、脳には異常が見られないということで、「事故の後遺症はもう心配ない」という判断を担当医がくだした。約2ヶ月前から始まった、私の両手や身体の痺れは、野菜を食べないことからくるビタミンB1の不足からだと、担当医が説明する。しかし、ここ半年ほど、食欲もあり野菜も含めて、よく食べている。体重もこの半年で5キロほど増えた。体力的には快調の状態だ。そんな私に、医者は治療用にビタミン剤をくれた。

痺れは、両手に慢性的にある。それと右半身を中心に、体を動かすと痺れが電気のように体を走る。当然歩いているときも、右足が着地するたびに痺れが身体を走る。

その私を目の前に、「事故の後遺症はもうないと断言できる」と叫ぶ担当の若い医師。どうして、そんなことが断言できるの。厳密には、CTスキャンで検査した結果、脳には異常が見られなかったといということ。で、後遺症がまったくないということとは、ちがうのではないのだろうか。

それ以外の、事故の時に打撲している身体の部分についてはまだ精密な検査はやっていない。なのに、どうしてそんなかんたんに断言できるのか。私の友人で、やはりカンボジアでオートバイの事故に遭った男がいる。彼は、打撲で足がはれ上がった。しかし、足以外は異常なし、と病院で判断された。でも、半年後に肋骨が痛みだし、事故による骨折が原因とわかり、日本で手術をした。
痺れの原因が、事故の後遺症かどうか、私にも知りようがない。

しかし、病人。少なくとも私は、自分のことをそうおもっているのだが。そして、「自分の判断では治療の必要はもうない」といいきる担当医。医師に、しつこく食いさがる私。そして、3月も末の29日、同じ病院の整形外科と神経内科の先生に、私をまわしてくれた。整形外科の年配の先生は、私に仕事は何かとたずねてきた。私は、一日の数時間をパソコンにむかっていると説明。それを聞いて、簡単に「痺れの原因はそれだ」と診断した。そして、私に週数回の水泳をすすめてきた。ほんとうかな。
神経内科の専門医の先生は、糖尿病が原因かもしれないといい、血液検査を指示。二日後に来院、採血、一時間後に結果はでた。しろ。そんな理由ではなかった。

彼は、私の痺れの状態と原因について、すこし詳しくたずねてきた。前の女医さんよりはまともにみえた。そしてまた来るようにといわれた。しかし、プノンペンに暮らす私としては、バンコクの病院にたびたび通院することはできない。1月後なら、ということで、再診日を決めた。しかし、私の加入している旅行保険のスタッフは、来月の再診は対象になるかどうか、わからないといいはじめた。保険の対象外であるという。保険会社が治療費の支払をしぶりはじめた。笑いばなしである。

そして、入院いらいの、自己負担している通院費などの支払いも、いつになるかわからないという。どうして。バンコクの、A保険会社の女性スタッフは、「お医者さんはもう治ったといっていますよ」と、平然と私におっしゃられた。外傷があったり、検査ですぐ判断できる病気でなければ、医者も保険会社も対応しないのだろうか。

「後遺症がない」という医師の一言。それを、受ける保険会社。病気や治療を、事務的に処理する作業のようにかんがえているのだろうかな。かりに、事故の後遺症でなくとも、身体に痺れをもった人間が、症状を訴えているのである。当然、一般の病気も保険の対象であり、私は、その保険金も支払っている。医者や保険会社の人たちのお仕事ってなに、とききたくなる。

更新日時 : 1999年04月02日 15:50

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