IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男
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援助について考える(2)卵はどこに

わたしの記憶では、三角協力プロジェクトには97年から養蚕専門家がフイリピンから派遣されてきた。最初の担当者が2年、その次にきた担当者が1年。そして、今年、2000年は派遣が中止された。3年間で終わってしまった。

もともとは、農家に果樹などの有用樹の苗木を配布するのが彼らのプロジェクトのひとつであった。

わたしが、かれらの活動するタケオ県やコンポンスプー県のとなりのカンポット県で養蚕を始めたのが、95年の7月。失敗を重ねながらも、わずかながらも初めての生糸が村人により11月には生産された。

96年には、わたしたちの養蚕プロジェクトのタコ-村からメンバーを、三角協力プロジェクトの苗木生産現場に派遣、研修を受けさせていただいたこともある。そのころ、三角協力でも将来的には養蚕の開始を射程に入れた、桑の木の苗木準備がスタートしていた。
当時、わたしたちの活動現場のカンポット県はポルポト派のゲリラが活発に活動する地域であったため、日本政府の危険地域と指定されていた。そのため、三角協力のスタッフは正式にはこられない現場であった。

しかし、苗木の準備が必要なためカンボジア人スタッフなどが、わたしたちのタコ-村を訪れ、苗木のもととなる桑の木の枝を提供したことがある。

彼らの配布した、桑の苗木を植えた農家を三角プロジェクトのスタッフといっしょに訪ねたことがある。そのとき、成長した桑の木を前に、養蚕の経験のない農家の主がわたしに尋ねてきた。養蚕は儲かるのかと。彼があの畑で植えていた桑の木はどうなったのか、そして、いまどうしているのか、気にかかる。

カンボジアで養蚕事業を始めようとするためには、どこでもいいということはない。ベストは、過去にその経験(伝統)を持っていた地域。そして、村人のおかれている環境の判断と、その理解と熱意(欲)。そして、それを支える環境の提供などである。

すこし横道にそれるが、あるNGOが米を食べたいと思っている村人に、いやパン食のほうが栄養がいいからと、小麦の植え方を無理やり奨励するプロジェクトを実施しようとしたことがある。これは、たとえである。しかし、村人がほんとうに望んでいることに立脚しないプロジェクトは、その期間がすめば消えて無くなる。

昨年、成長した桑の木を前に、養蚕を始めようとしたフイリピン専門家が、はたと考えた。卵はどこで買えばいいのか。これはわたしから見れば、冗談のような話だが、彼は真剣にわたしに尋ねてきた。

更新日時 : 2000年7月25日 16:06

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