IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男
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援助について考える(1)ひとつのプロジェクトの終焉

最近、まわりでいくつかの出来事があり、あらためて援助について、考えさせられた。

そのひとつは、カンボジアで日本政府の看板プロジェクトと言われている、「三角協力プロジェクト」の中でおこった。わたしのような部外者が、そのことを、とやかく言える立場にないことは重々、理解しての上で、あえてここに書かしていただく。

なぜなら、私自身がそのプロジェクトの成り行きに関心を寄せていたからでもある。それは、養蚕プロジェクトにおいてなのだが。私自身もカンボジアの村で、95年から養蚕プロジェクトを進めてきた。その分、おなじ日本人がかかわっていたこのプロジェクトが突如打ちきられたことに、残念な気持ちを隠せないでいる。

「三角協力プロジェクト」とは、簡単にいうと、日本と東南アジア、そしてカンボジア。その三者が作るトライアングル、すなわち三角から、この名前がつけられた。これまでの、日本政府の海外での援助プロジェクトは、日本の専門家が中心を担うというのがとうぜんであった。しかし、このプロジェクトでは、日本からだけではなく、タイやフイリピンなど東南アジアの専門家が現場でのプロジェクトをスーパーバイズ。カンボジア現地のスタッフは、カウンターパートとして協力、あわせ、その養成も目指してきた。

それは、たとえば日本のような温帯地域の農業の経験者が、熱帯でその経験をそのまま当てはめることには無理があり、東南アジアのおなじ熱帯での農業専門家による経験と指導がより効果的といえることに由来する。それは、医療などの分野でも同様で、日本の医師が、仮にカンボジアにきて、即戦力になるかといえば、そうではない。まず、熱帯医療といわれる分野の知識と経験があって、はじめてその力を発揮できる。

三角協力プロジェクトは、これまでのJICA(国際協力事業団)のプロジェクトと比較すればそういった面で、画期的と言えるものである。

更新日時 : 2000年07月25日 16:05

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