IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男
IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男

援助について考える(3)近代養蚕の導入

そのとき気がついた、彼は近代養蚕のなかで育ってきた専門家であることを。わたしたちは、日本や韓国、中国などで実施されている養蚕業を「近代養蚕」、カンボジアの村などで伝統的におこなわれてきた養蚕業を「伝統養蚕」と呼び、あえて区別している。

日本の場合、江戸末期にフランスの専門家を招聘、当時世界の生糸生産の中心地であったリヨンの近代的技術を習得。日本における近代養蚕業の歴史は開始された。その特徴は、機械化された製糸機械の登場である。

だから、製糸工場を中心に養蚕業は成立する。逆にいえば、製糸工場の機械を稼動させるだけの大量の繭を生産する農家がないと、近代養蚕業は成り立たない。

近代養蚕が導入される以前の日本の各地では、伝統的養蚕が、主に生糸の自家需要を背景に農家においておこなわれてきた。お蚕さんを飼い、生糸を座繰りとよばれる簡単な道具で引いてきた。

しかし、近代養蚕の開始とともに、養蚕農家は繭を生産、その生産された繭は乾燥され、製糸工場に出荷された。ご存知の、女工哀史の世界である。そして、蚕の卵は、繭を買いつける製糸工場から指定された蚕の品種を育てなければならなかった。そのため、農家は卵を問屋から購入してきた。それは現在もおなじである。

じつは、フランスの団体がシアムリアプにおいて、国境からの帰還難民を対象に、93年からUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の協力で養蚕、織物センターを建て、やはり養蚕プロジェクトを実施してきた。しかし、それは近代養蚕の導入を考えている。センターの周辺に繭を供給する養蚕農家が育たなくては存在できないもの、そのため、四苦八苦しながらも養蚕部門は、現在もまだうまく軌道に乗っていない。

やはり、96年にフランス人の専門家が、わたしたち研究所の養蚕プロジェクトのカンポット県タコ-村を視察にきた。現場を見て、彼らはため息をついていた。彼らがプロジェクトにかけた大きな予算とわたしたちの予算の少なさ、そして村での生糸生産量の比較。コストパーホーマンスで言えば、はるかにわたしたちのほうが高い。彼らから、養蚕プロジェクトへの協力を依頼された。しかし、その話し合いの途中、97年7月カンボジアでクデターが起こってしまった。

数年前、タイの養蚕製糸業者がカンボジアでやはり生糸の生産をするために調査していた。それも、やはり近代養蚕。養蚕業は集約産業。農家の負担を抜きに成立しない。農家に繭だけを生産させ、生糸は工場でというやり方は、農家に利益率の低い部分だけを負担させることになる。人口飼料による、効率化を求めた日本の養蚕業は、その結果といえる。高度成長したタイの農村でも成立しなくなってきている。余談だが、このタイの製糸会社は最近倒産した。

わたしたちはいま、農家で糸の生産までこなす、伝統養蚕を進めてきた。これは間違いなく農家に対し、より大きな利益をもたらすから。不思議なのは、こういう経験がおなじカンボジアの中でおこなわれていながら、三角のスタッフは、その現場を正式に訪ねたことがない。張り合っているのだろうか、それとも縄張り意識?それとも、なにか他の要因があるのか。フランスの団体、現在はEUの責任者から、そのことを尋ねられたこともある。情報交換でもいいじゃないか、と。基本はカンボジアの養蚕業の発展であり、村人の生活の向上ではないのか、と。彼は現在フンセン首相へのシルクに関する国家プロジェクトのアドバイザーの立場にある。

カンボジアに派遣されてきたフイリピンの専門家は、じつは日本の援助により開始されたフイリピンの養蚕事業のなかで育った専門家。とうぜん、近代養蚕の技術を学んできた。そのため、彼にとっては蚕の卵は問屋から買うものであった。熱帯のフイリピンで温帯の日本の養蚕技術、と疑問に思い、話を聞いて納得。海抜1000メートル級の山で、養蚕は実施されていたからである。気候的に言えば、日本の温帯気候と大差はない。そして、卵は日本から輸入されている。

しかし、伝統養蚕の場合、卵は自家繁殖されてきた。これは、現在のカンボジアもおなじである。買う必要はない。そのため、彼の「森本のところは卵をどこで買っているのか」、と言う質問になったのである。熱帯で、イチゴを栽培するのとおなじである。三角プロジェクトの中で、養蚕の専門家がそんなフイリピンから派遣されてきたことも、たぶんミスキャストだった、はずである。

更新日時 : 2000年07月25日 16:07

前後の記事:<< 援助について考える(2)卵はどこに | 援助について考える(4)熱帯の蚕 >>
関連記事
援助について考える(4)熱帯の蚕(2000年07月25日)
蚕は死んでしまった(2002年05月04日)
バッタンバンからの報告(2000年09月27日)
桑の木基金について(1998年08月04日)
バージョンアップ(2007年05月12日)
アメリカのテレビ取材、そして(2007年05月12日)
蚕の道(2007年05月11日)
長野の庭師(2007年04月01日)
ゴールデン シルク(2007年03月25日)
アンコール シルク フェアー終える(2007年02月05日)