IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男
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援助について考える(4)熱帯の蚕

じつは、カンボジアで伝統的に飼育されてきた蚕は、熱帯種のカンボウジュと呼ばれている、黄色い糸を吐く多化性とよばれる種類。おなじ蚕蛾科だが、日本や中国の蚕は温帯種の冬眠する蚕蛾で、1化性か2化性、吐く糸は白い。ともに桑の葉を食し、家で飼われているという意味で、「家蚕」と呼ばれているグループに属する。

これに対し、最近日本で「野蚕」と呼ばれる、野生の蚕がブームとなりつつある。しかし、そのなかで東南アジアのカンボウジュ種の蚕を家蚕とみなし、日本などの改良されつづけた蚕と単純に同列に見なす専門家の人たちも多い。しかし、カンボジアの蚕は改良されずにきた、野生の蚕に等しいものと言える。日本などで品種改良された、「野生」の蚕よりも、自然なような気がする。が、そのことは、別の機会にまた詳しくふれたい。これは、日本独特のファッション感覚なのかもしれないから。

1970年代、日本政府のJICAプロジェクトとして10数年間、「優れた」日本の蚕を熱帯モンスーンのタイに導入する試みがおこなわれた、ことがある。しかし、熱帯の自然には勝てず、このプロジェクトは終焉した。わたしが、タイに住み始めたころ、ちょうど最後の専門家の方がまだおられたころで、その苦労話をお聞きしたことがある。

そして、この経験があったからであろうと思えるが、フイリピンでは熱帯の国の熱帯気候ではない山の上で、日本の援助で養蚕プロジェクトが10数年前から実施されてきた。しかし、フイリピン人専門家のカンボジアでの活動地はそんな海抜のある山の中ではない。平地に近いところ。彼の技術は活かされない。そのことを単純に質問したことがある、しばらく彼は考え込んでいた。

70年代の日本の援助による養蚕プロジェクトを終えたタイの養蚕関係者は80年代から、インドやその他の地域の養蚕技術を学びはじめた。そして、日本の専門家が劣っているとみなした在来の熱帯の蚕と、日本や中国の温帯種との交配に取り組み始め、現在もその研究は続いている。

しかし、タイの研究成果の交配種もいまだ、その飼育の容易さから言えば、在来種に勝てないでいる。在来の品種がもっている熱帯にたいする順応性、適応力。これは、とうぜんのことに思える。

タイでもそうだが養蚕農家を支援する、養蚕センターが地域ごとに完備している。それが、近代養蚕をすすめるうえで不可欠なものである。現在のカンボジアは、まだそれ以前のインフラの整備から手をつけなくてはならないのが実情。そのことを思うと、現状では村において、在来のカンボウジュ種の普及がまず必要なのでは。過去には、カンボジアはこの東南アジアの中で有数の養蚕が盛んな、生糸の生産地であった。そのことを思うと、こんご段階的には、その改良が可能であり必要といえる。

戦乱のなかで途絶えてしまった、村における伝統養蚕の復活。生糸の生産とその販売による村人の収入向上。わたしたちは、養蚕による「村おこし」と考えてきた。その試みを実施、この5年間のなかで具体化、村に根づかしてきた。わたしたちの研究所の力は、僅かなものである、しかし、ささやかであるが確実にその結果は村に存在する。現時点でカンボジア国内の村レベルの養蚕は、このタコ-村と、もうひとつはポルポト派の影響下に最近まであったバンテミエンチエ県のプノムスロック郡の村しかない。

そして、今年度からバッタンバン県やシアムリアプ県の地雷被害者や元兵士の家族の住む村で、かれらの生活向上に寄与することを目的に、あらたな養蚕プロジェクトを準備、動き始めている。

わたしたち研究所の養蚕プロジェクトは、JICAの専門家の人たち、一人分の給料ではなく、支給されるプノンペンの住居費にも満たない金額で、その全体を運営し、それらの結果を生み出している。わかっていただけるであろうか。

最近、大使館からNGOに支給される草の根無償の申請用紙を見る機会があった。事細かに、その使い道や有効性について、質問する事項が並んでいた。それは、超ミクロなものである。それは、日本の国民からの税金を有効に使うことを考え、そうなったのであろうと推察された。しかし、なにかが違うように思えた。これはうまく説明できないが。そして思ったことは、大使館の担当の方に、ぜひこれとおなじものを、今回のJICAの三角協力プロジェクトにおける養蚕プロジェクト終焉にも当てはめていただきたい。

大きな予算と力で動いてきた、日本政府のひとつのプロジェクトが数年で終えたことは、残念でならない。実施とその中止。これは、フイリピンの養蚕専門家の問題ではない。彼を派遣した、このプロジェクトの日本におけるプロジェクト立案レベルの人たちの問題。超マクロの問題と言える。

わたしは、官の人たちが安易な権威主義であると思えるのだが、それは裏返せば自己保身のような気がするが、「自分たちは正しい」と、まず置かれている。そのことに、単純に疑問を感じはじめている。それでなければ、3年間の養蚕プロジェクトの成果がなにであったか、説明できるのであろうか。

さいきん外務省ではないが、やはり日本の「官」の人が、日本の企業と組んでカンボジアのゴールデンシルクの開発をするんだと意気込んでおられる。電話で、カンボジアには野生の蚕がありますか、と変な質問をわたしに投げかけてきた中国人の養蚕専門家を同行して。そして、わたしたち研究所の養蚕現場、カンポット県のタコ-村を、他のルートを通じて、こそこそと見にこられたようである。その、噂を耳にしながら、この三角協力の二の舞にならないことを祈るばかりである。そして、一年後のその成果を、野原にて楽しみに待たしていただきたい。

更新日時 : 2000年07月25日 16:08

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