IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男
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アキラの地雷ツアー

その前日、偶然夕食を地雷博物館を主宰するアキラ氏とともにした。

そして一声、明日いっしょに地雷取りに行かないかと声をかけられてしまった。え、一瞬戸惑い、しかし、気持ちに勝てづ。うなずいてしまった。話では、西洋人のジャーナリストが彼の地雷除去作業を取材するので、だったが、待ち合わせのレストランに行ってみると、総勢24人の大部隊。英、仏、米、豪、独の混成部隊に友人の日本人二人とわたし。それは、なんと地雷ツアー。

日本のマスコミにも紹介されはじめた、アキラ氏。カンボジア人の地雷専門家。こどものころから、ベトナム兵の先を歩かされながら、地雷の専門家になってしまった彼。27歳の元気な青年である。

数年前から、シアムリアップで、多くの人に地雷の恐ろしさを知ってもらいたいと、独自で地雷博物館を開設。彼は、独自の方法で信管を抜き地雷処理をする。このシアムリアップ周辺にもまだ多くの地雷が残されている。村人から地雷があるよと声がかかると、出かけていく。

ある日、昼前に地雷博物館を訪ねたとき、ちょうど地雷撤去を終え戻ってきた彼は芋でも袋から出すように、地雷を数十個取り出した。彼にとっては、そんな日々。

地雷ツアーに参加した、総勢24人とプラス、アキラ氏のスタッフは12台のオートバイとピックアップトラックに分乗、一路今日の現場の43キロ先の村に向かった。

現場に着くと、さすがにアキラ氏の顔は厳しい。いつもの、やさしい笑顔は消えていた。村を過ぎ、ブシュのなかに、道も細くなる。彼から、現場の状況が説明され、歩ける道についての説明。参加者は緊張する。ここから、さき20メートルはまだ地雷が残されている。彼は、金属探知機などは使わず、長年の経験と培った感で、その在りかを探る。

道具はごく普通の小さなスコップ。地面に探りを入れる。大きな蟻塚のそば、最初の一個は見つかる。合計3個。ロシア製と中国製。わたしたちは、ブッシュの中で見をかがめ、なりいきを見守る。

参加者と話をする。かれらは、興味本位ではなく地雷のもたらす深刻さをその身で知りたいとアキラ氏に現場訪問を依頼したらしい。リーダー格のアメリカのニューヨークポストの記者はカンボジアでの取材の最後がこのアキラ氏の活動。

以前、日本の某TV局のプロデュ-サー氏が取材を企画しながらも、最後の会議で安全性について、100%以上をもとめ、結局実現しなかった。そのことを思うと、今日のかれらは、気合がはいっている。

こんな、村人が毎日いききするすぐそばに地雷が残されている。これが、カンボジアの素顔なのだろう。そんなことを、あらためて見せつけられた、一日だった。

更新日時 : 2000年8月 5日 13:54

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