筆一本の職人さん
シアムリアップに住み始めて半年、なぜか不思議に筆を持ちたくなってきた。
わたしは、元京都の手描き友禅の職人さん。親方について、友禅の手ほどきを、というよりは、盗み見しながら腕を磨いてきたつもりの職人さん。
見習の当時、給料なんかは無くて、タバコ銭の小遣いだけ。しかし、そのぶんいい環境の中で学ばしてもらった。その頃中指には、ペンだこじゃなく筆だこがあたりまえのように在った。10年とすこし、素描、彩色、ローケツとキモノに絵を描いてきた。そんな染の職人さんが、包丁一本じゃなく、筆一本で、南の国のタイ、そしていまではカンボジアまで流れてきた。
タイに居た頃には、すこし描いていた。しかし、カンボジアにきて6年。これまでは、研究所の活動とでもいうのか、やはり仕事に追われてきた。それがすこし、一段落。シアムリアップに住み始めあたらしい課題にこれから向かおうとしている。そんな、ひとときのつかのま、か。
シアムリアップは、自然に包まれた遺跡の残るところ。そんな、土地の空気に触れながら、無性に自分の染をやりたくなってきた。
もちろん、研究所では毎日のように、絣の糸を草木で染めている。しかし、やはりおばちゃんたちとの共同作業。それだけでは、満足できない、そんな気持ちがムクムクふくらんできた。でも、あいかわらずのバタバタと動きまわる毎日。なかなか、筆を手にするまではいかなかった。染めるのであれば、ローケツ。筆も、京都時代の物を何本か手元においている。柄は、好きな、タイでは「ドックケム」という皐月に似た花。もちろんカンボジアでもよく見かける小さな花。
8月もはじめ、一週間ほどの時間が。一気に3日間で2枚の布を描き、染あげた。布はもちろん、研究所で織った黄色い繭からの糸の無地。染は、いい布があってはじめて活かされる。染が活かされる布。染屋のわたしの布=織物との接点、基本でもある。
色は、ベースはココナツの実の皮でベージュ。カユクニンの木の心材で黄色、そして、仕上げにラックカイガラムシの巣の赤を軽く。草木染めでのローケツは、ロー描きしたあとは常温染のみ、煮たくことはできない。とうぜん、堅牢度も必要。できあがりの布を、マレイシアのバテックの先生に見せた。もう、インドネシアやマレイシアでも、草木のバテックは皆無に等しい。化学染料で染めるバテックと、草木のバテックではとうぜん染め方が違う。さっそく、来年うちの研究所に生徒を連れて研修に来てもいいかという話になってしまった。
カンボジアの伝統織物の復活にたずさわるとき、自分自身が京都での友禅の見習い時代、育った環境がそのイメージの基本にある。わたしは、技術を教えるのではない。村のおばちゃんや若い織り手が、仕事をしやすい環境を整え提供する。技術は村の中に在る。その掘り起こしを手伝う。そんなことをしてきたつもりである。
更新日時 : 2000年08月24日 13:57



