2003年1月アーカイブ

出来上がった入り口

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伝統の森現地の道路から予定地への進入路が出来あがった。道路と土地の間にあった溝のようなものを土管を入れて埋め、幅5メートル、長さ8メートルほどの小さな橋のようなものを作った。これで、予定地のなかに車を入れられる。
朝から、研究所の大工さんたちとマネージャーのロタ君が出向き完成させてくれた。一週間ほど前に作業を半分終えていたから今日は2回目そして、予定地にあった小さな藁葺きの小屋も手をいれて、使えるようにした。予定地の間口は160メートル、奥行き340メートル、約5ヘクタールある。
あと1週間ほどすれば、カンポットのタコー村から、男衆が10人ほど来て開墾作業を始めてくれる。そのために、とりあえず夜露をしのげる場所として、この小屋があれば助かる。彼らは、まず住む家も自分たちで作る予定である。そして、桑の木を植えるために開墾が始まる。
開墾が始まり家が出来ると、それぞれの家族が移住してくる。伝統の森予定地への最初の入植者である。養蚕の再開に協力してくれたタコー村の村人、もう8年ほどの付き合いだから、気心も知れている。だから、安心して現場に住んでもらい任せることが出来る。これから、家も出来少しずつ入植者も増えていく、新しい村をみんなで作っていく。村の名前は、この間タコー村の村人たちが下見に来てくれたときに「新タコー村」にすることに決めた。プム タコータマイ、クメール語でプムは村、タマイは新しいの意味である。数年先には200家族ほどの村ができる予定である。
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1月のフルムーン

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先日の満月の夜、研究所ではパーティーをやった。
といっても、この東南アジアのあちこちで、あるフルムーンパーティーとは少し違う、のだけれども。村から、胡弓のような楽器や太鼓を持参してもらい、そう村の楽団とでも言うのだろうか、演奏してもらい、聞きながら、研究所のみんなで盆踊り大会とでも言うのだろうか、楽しくすごした。ちょうど、その日、カンポット県のタコー村から20数名の村人が遠路、はるばる、伝統の森の現場を見るために来てくれた。その歓迎もかねて、だった。現場を見た彼らは、気に入ってくれた。さっソク、開墾部隊として、男衆が10数人来てくれることになった。そして、そのあと3家族が入植のために、やってきてくれる。嬉しいことだ。養蚕の経験がある村人だから、これで伝統の森養蚕プロジェクトは動き始めたも同然。感謝。タコー村のみんなはシエムリアップが気に入ってくれた。
ちょうど、去年の1月の満月の日、研究所の現在の2軒目の新しいうちに引越し式をやり、やはりその日の夜、満月を見ながらパーティーを村の楽団といっしょに楽しんだ。
1月のフルムーン。これは研究所にとって、縁起のいい日になってきた。来年のフルムーンは何があるのかな。今から、楽しみだ。
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テレビのおかげ

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久しぶりに、シエムリアップで日本のテレビの現地コーディネーターの仕事をさせていただいている。ロケハンも無事終わり、今日から撮影本番、今回はテレビのCM撮影。アンコールワットが中心で、普通のアンコールの遺跡の写真集にはないような、そんな絵が取れればいいなと、思っている。こんなして何日か時間をかけて撮られた絵も実際にテレビに登場する時は、時には数秒のカットだったりする。

テレビのコーディネーターの仕事。これはわたしの大切な仕事のひとつとなっている。タイ時代からやり始めて、もうかれこれ18年近くになる。最初の仕事はお正月の特別番組で、北タイのアカ族の山ノ上の村で家を建てる、なんていう番組だった。当時日本人で山のなかに入っている人はまだ少ないころ、今のカンボジアでもそうだが、織物や手工芸の調査でいろんなところに行っていたから、普通の人が行かないようなところを知っていたりする、そしてそのなかでできてきた人間関係、それがコーディネーターの仕事には大きなプラスになっている。

テレビのドラマや番組、ときにはCMの仕事も。有名な役者さんと一緒に仕事をしたりすることもある、がわたしは浦島太郎、その人が日本で人気の役者さんでも日本のテレビなど見ることもないわたしにはその人がどんな売れている人か分らないことも良くある。ある有名な役者さんと一週間ほどいっしょに仕事をしていて、そんな彼のことを知らないわたしが、彼には不思議らしく私に自分が出てきた番組や舞台、そして映画の話をしてくれるが、わたしには知らない話。久しぶりに帰った日本でテレビを見ていたら、ほとんど毎日ぐらい彼が出ているドラマがテレビで流れていた、なんていうことも。

本数にしたらそんなに多くはない。年に4~5本。それでも、自分が生きていくことと、このカンボジアに来てからは、研究所の活動を維持するために、大切な収入になっている。研究所の活動がここまで来れたのも、そんなテレビの仕事のおかげ、それでスタッフの給料も払うことが出来てきた。もともと研究所は、赤字覚悟でやっていた、採算が取れないことを承知の仕事、それを穴埋めするためにわたしのコーディネーター業はおおきな存在なのである。

先日の大晦日は、お昼から研究所で忘年会?をやりました、恒例化しているのですがスタッフへのくじ引き、そしてアプサラダンス、そのあとは第3部で、村から楽器を引く人を招き、カンボジアの民族楽器で盆踊り大会ですか、みんな楽しく過ごしました。
そして、ここ数日、お正月休みの関係でしょうか、研究所にも沢山の方がこられております。いろんな方がこられているのですが、なかには、エ、というウ感じで研究所の絣を買い占めていかれた方がありました。研究所のみんなも唖然、でした。そして、今日は俳優の伊武雅刀さんも来られました。それ以外にも、再訪していただいた方が沢山あります、嬉しいです、ありがとうございました。また今年も、元気で、よろしくお願いいたします。

研究所がカンボジアで最初に取り組んだ仕事が、黄金の生糸による養蚕の村での再開であった。95年7月、そのとき協力してくれた村人が今日シエムリアップに来てくれた。
総勢22人。430キロの道のりを、13時間かけて。シエムリアップの研究所にはタケオの村から師匠格で来てくれている、おばあたちがいる。彼女たちも、94年以来の付き合いの人も、そして96年の研究所たちあげ時からのおばあたちもいる。
そんなおばあたちが、何年ぶりかでこのシエムリアップで再会した、平均年齢は60代半ば。みんな元気がいい、そして、カンボジアの伝統の生糸作りや、染色、絣織りの伝統を受け継いできた、おばあたちでもある。
研究所では、そんなおばあたちの知恵を経験を生かし、受け継ぎながら「伝統の森」を再生しようとしている。それは、伝統の再生、創造でもある。そのために、ここにおばあたちが集まってきてくれた、嬉しいことである、今日はそんな記念すべき日である。
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