2003年2月アーカイブ

現場から

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最近の現場の様子です。
1番目:トラックで苗木を現場に送り出すところ。
2番目:揚水ポンプで散水。水があるおかげで、開墾もしやすくなります。
3番目:出来上がった、簡易宿舎。とりあえず、ここで生活が始まりました。
4番目:下草刈をする男衆。現場は現在総勢21名になりました。

たまたま今日、研究所にアメリカ人のテキスタイルデザイナーの女性が訪ねてきた。彼女は自分がアメリカのマーケットのことを知っており、売れるデザインを作ることが出来るとを売り込みにきた。そして話のなかで、インドでは最近は自然染色が見直され始めてきていることを話していた。それは単純には世界の市場が自然染色による製品を望むようになってきたことに対する反映といえる。

20年前、タイで自然染色を使った織物プロジェクトを村で始めようとしたとき、相棒のタイ人のNGOスタッフは真顔で、どうして自然染色などという昔の染色でやるのだ、と聞いてきたことがあった。そして10年、タイでも自然染色が話題になり始めてきた。タイのテレビで紹介されたことも、そして、タイの国立の大学で自然染色の授業を持ったりもしていた。そして、それからまた10年。いまでは、自然染色の良さは子どもでも知っているようになってきた。

タイにある日系のタオルメーカーから、草木染めの製品を販売したいので、とわたしのところに話が転がり込んできたことがある。結論的には、それまでの化学染料を自然の草木の染め液に換へて染めたいから、染液を提供して欲しいということだった。そして、丁重にお断りした。彼らの製品カタログにはすでに、草木染めシリーズが紹介されていた、でもそれは草木染め風とでも言うのだろうか化学染料で染めたもの。それもやはり、市場の変化に対応したもの。

訪ねてきたテキスタイルデザイナー女史やインドの変化も、そしてタオルメーカーも含めたタイの流れも、そんな市場の需要の変化に反応した結果なのかもしれない。しかしここで、思うことは自然の素材を使った染色は、化学染料からただ置き換えればよいという話ではない、その材料となる植物を生み出すそんな自然への思いやりの気持ちがなければその素材を生かすことは出来ないのである。季節やそれぞれのおかれている自然環境、そして染をする現場の環境、とりわけ染色には水が大切な要素である。それも、その土地、土地の自然の一部。そこで、人の営みとしての染や織がある。

生産効率が重視され、大量に物が作られ消費されてきた時代、人々は自然環境も浪費してきたのではないだろうか。プラスチック文化。その反省が、21世紀にはいって花開き始めている。自然をいたわる、それは、そこにくらす人々もいたわる文化なのかもしれない。

下の写真は、伝統の森に出来あがったばかりの井戸のようすを確かめているところ、森の開墾、そして現場に届けられた桑の苗木。
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動き始めた伝統の森

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総勢19名、女性が4名そして男衆が15名。とりあえず住むための小屋も出来上がった。もちろん電気も水道もない、荒野と言っても良いようなところ。でも、掘りあがったばかりの井戸があり、生活用水の心配はない。男衆の希望で、バレーボールを一個買った、仕事のあとのひと時の娯楽。そして女性組からは台所用小屋を作ってくれと希望が出た、そらそうだ。そして、ホンダの中古のスーパーカブを一台。そして、そばを流れる小さな川から、桑畑への潅水用にやはりホンダのエンジン付の揚水ポンプを買った、これは新品。研究所で一年ちかく育ててきた、苗木約2千本も現場に運び込まれてきた、もちろん桑の苗木1300本も含まれている。とりあえずの桑畑を40X50メートルで開墾、整地することにした。いろんな木の根起こしをしなければならないから、大変である。でも、みんな元気に現場仕事をこなしていく。動き始めた、伝統の森計画、みなさんぜひ覗きにおいでください。
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カンボジアとタイ

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今回のタイとカンボジアの間の出来事の、最初のきっかけといわれているタイの女優さんの発言、今となっては言ったいわないの話になっていますが、潜在的にタイのある一部の人々のなかに、そんなアンコールワットはタイのものだ、というカンボジアを見下すような意識が強くあることをあらためて思い出しました。それも、とくにある程度なんていうのでしょうか、学のある人たちのなかで、そうなんですね。ふしぎです。
やはり以前、バンコックからシエムリアップに飛んでくる飛行機のなかで、機長のアナウンスがありますが、そのとき彼はもちろん英語ではヒンシュクものですからそんなことは言わないですが、タイ語でシエムリアップについて、今回と同じようなことを言っていたことを思い出しました。
わたしがカンボジアの織物と関わるようになったのは、ほんとうに偶然のような気がします、しかし、もちろんその前にタイのなかにある伝統の織物と関わっていたということが当然、その偶然に切っ掛けを作っているのですが。
少し唐突のような話ですが、カンボジアに来る前、わたしは東北タイの村でつづけられた伝統の織物に10年とすこし関わっていました。そして、村で出来た自然染色の布を販売する店をやはりバンコックで6年ほどやっておりました。最後は国立の工科大学でテキスタイルデザインをやはり3年ほど教えたりもしていた。
そのうえで、わたしの感じていることのひとつに、タイ人(シャム人)の中には織物の伝統がないということです。そんなことをいうと、えっ、といわれそうですが、現在、カンボジアで村の織物と関わっていて、なおさらそう思います。あるのは、現在タイの国となっている土地に暮らしている、それぞれのエスニックの人たちの織物なのです。たとえば、ラオやクメール。そして山の人たち。わたしは、たまたま縁があってスリン県のクメール系の人たちの伝統の織物と関わっていた。しかし、バンコックを中心にしたシャムの人たちの中にはまったく、そんな織物の伝統がなかった。そういう意味で、第二次大戦後ジムトンプソンがはじめた「タイシルク」は新たな伝統を生み出してきているともいえるのかもしれないが。でもそのときの彼の相棒はシャム人ではなくチャム人なのだが。それと、ここ10年ほどお土産などで売れるようになって、コンピューターを駆使してあたらしい伝統の柄を作り始めているバンコックの若い人たちがおりますが。
10年ほどまえだろうか、タイではカンボジアの絣のコピーが盛んにおこなわれていた。とうじタイは高度成長の真っ最中だったから、飛ぶ鳥を落とす勢いとでも言うのだろうか、そのなかでカンボジアの絣はタイの絣だ、と真顔で話すタイ人の織物専門家もいたりした。
そんななかで、わたしは平和が戻り、伝統の織物が再開されはじめたカンボジアの村を訪ね始めていた。伝統織物研究所をカンボジアで、あの時期に立ち上げて行きたいと思った動機のひとつでもあるのだが。そんなことを、こんかいのタイとカンボジアの間の出来事を聞きながら思い出した。
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研究所の全容

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全容なんて言うと、少し大袈裟ですが研究所の総勢250人プラスの内容をお伝えします。というのは、昨日カンポット県のタコー村から男衆が来てくれ、伝統の森の開墾が本格的に始まった。そう、今日から研究所の開墾組がスタートした。
今日は朝から大型トラックをチャーターして、準備してきた苗木や、彼らの現場で暮らすための家作りに必要な資材などを運んだ。そして、市場で60キロ入りの米を買い、生活に必要ななべ釜の類もいっしょに。
現在研究所には、まずこの開墾組、そして織機や道具類を作ってくれる大工組、竹の細工組、染の素材となる木やラックカイガラムシを細かくしたりの素材準備組、そして最近では染や精錬に必要な灰もバナナから自家製さんしているので、この灰準備組、そして、絣の括りに使う芭蕉の紐組。そして、染組。生糸をきれいにする生糸組、これには双糸や撚糸組も含まれる。そして、一番大切な絣の括り組。そして、織り組、これには生成り織、縞、玉虫無地、絣と分かれる。そして、出来上がった布の販売の準備をしてくれるショップ組。それから、今人気のハンカチ手縫い組、パッチワーク組。布のパッケージ用の砂糖椰子の葉で籠を編む籠組。それから、全体の運営のための雑用を一手に引き受けてくれている事務所組。そして、毎日模写に精を出すお絵かき組。こんなところかな、いくつになっただろうか、16組。あ、そうだ苗木の準備をしてくれているプラント組、でもこれはこれからは開墾組に入っていくのかな。15歳から75歳まで、みんなの力が合わさって研究所の一枚の布が出来あがっていく。今年後半から、綿花の栽培とその糸紡ぎもはじめていく、そして、やっと念願の藍染も、そしたらまたあたらしい組が出来ていくことになる。

先日、イギリスから約10名ほどの布の好きな人たちが来られた。
なかに、パッチワークや刺繍をされている方がおられて、研究所のハンカチ組やパッチワーク組の仕事ぶりを見ていて、我慢できなくなってきたようで、見学もそこそこに針の使い方を教え始めてくれた。研究所の彼女たちの針の動きは決して早いとは言えない、だからなのだが。イギリスからの先生は、さすがはと思える手つきで針の向きや、かがり方の秘訣を伝授。次の日、教わったパッチワーク組のリーダー、チャラップはいまは30人ほどになるハンカチ組にその秘伝をまた伝授。何人かは器用にそれをこなしてきた、でもあいかわらず同じやり方でのんびり組も、でも、これで人気のハンカチの出来も少しは早くなるのだろうか、楽しみである。
そして、イギリスからの彼女たちは国から持参してきた、色鉛筆や絵の具、ノートなどを次の日研究所に届けてくれた。研究所には10人ほどの、お絵かき組がいる、模写を毎日しながら絵を描くこと、そんな腕を磨いている、最近は写生もなかなか素敵なものを仕上げられるようになってきた、しかし、このシエムリアップにはそんな水彩絵の具や筆などという画材といえるものを町で見つけることは出来ない。わたしがタイへ出かけたときに買ってきたりしている、そんなお絵かき組に最近絵の具や色鉛筆のプレゼントがすこしづつ届くようになってきた。ありがとうございます、もうかれこれ一年近くになり始めているお絵かき組、そのうち彼女たちの展覧会でも出来ればいいナと、思えるようになるほどに腕が上がってきた。
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