IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男
IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男

カンボジアとタイ

今回のタイとカンボジアの間の出来事の、最初のきっかけといわれているタイの女優さんの発言、今となっては言ったいわないの話になっていますが、潜在的にタイのある一部の人々のなかに、そんなアンコールワットはタイのものだ、というカンボジアを見下すような意識が強くあることをあらためて思い出しました。それも、とくにある程度なんていうのでしょうか、学のある人たちのなかで、そうなんですね。ふしぎです。
やはり以前、バンコックからシエムリアップに飛んでくる飛行機のなかで、機長のアナウンスがありますが、そのとき彼はもちろん英語ではヒンシュクものですからそんなことは言わないですが、タイ語でシエムリアップについて、今回と同じようなことを言っていたことを思い出しました。
わたしがカンボジアの織物と関わるようになったのは、ほんとうに偶然のような気がします、しかし、もちろんその前にタイのなかにある伝統の織物と関わっていたということが当然、その偶然に切っ掛けを作っているのですが。
少し唐突のような話ですが、カンボジアに来る前、わたしは東北タイの村でつづけられた伝統の織物に10年とすこし関わっていました。そして、村で出来た自然染色の布を販売する店をやはりバンコックで6年ほどやっておりました。最後は国立の工科大学でテキスタイルデザインをやはり3年ほど教えたりもしていた。
そのうえで、わたしの感じていることのひとつに、タイ人(シャム人)の中には織物の伝統がないということです。そんなことをいうと、えっ、といわれそうですが、現在、カンボジアで村の織物と関わっていて、なおさらそう思います。あるのは、現在タイの国となっている土地に暮らしている、それぞれのエスニックの人たちの織物なのです。たとえば、ラオやクメール。そして山の人たち。わたしは、たまたま縁があってスリン県のクメール系の人たちの伝統の織物と関わっていた。しかし、バンコックを中心にしたシャムの人たちの中にはまったく、そんな織物の伝統がなかった。そういう意味で、第二次大戦後ジムトンプソンがはじめた「タイシルク」は新たな伝統を生み出してきているともいえるのかもしれないが。でもそのときの彼の相棒はシャム人ではなくチャム人なのだが。それと、ここ10年ほどお土産などで売れるようになって、コンピューターを駆使してあたらしい伝統の柄を作り始めているバンコックの若い人たちがおりますが。
10年ほどまえだろうか、タイではカンボジアの絣のコピーが盛んにおこなわれていた。とうじタイは高度成長の真っ最中だったから、飛ぶ鳥を落とす勢いとでも言うのだろうか、そのなかでカンボジアの絣はタイの絣だ、と真顔で話すタイ人の織物専門家もいたりした。
そんななかで、わたしは平和が戻り、伝統の織物が再開されはじめたカンボジアの村を訪ね始めていた。伝統織物研究所をカンボジアで、あの時期に立ち上げて行きたいと思った動機のひとつでもあるのだが。そんなことを、こんかいのタイとカンボジアの間の出来事を聞きながら思い出した。
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更新日時 : 2003年2月 8日 11:21

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