IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男
IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男

「伝統」と「森」の意味するもの

 伝統の森再生計画のことが、メールマガジンやホームページを通じて知られていくうちに、わたしがはじめに思い描いていた「森の再生」のイメージとは違った反応が、日本にあることに気がついた。そのひとつは、里山運動との比較であった。そして「伝統」という日本語の言葉にあるイメージであった。わたし自身、日本での里山運動というものを直接には知らず、伝統の森計画を構想してきた。また社会学者に教えられて、インターネットで関連するいくつかページを開いてみたりした。そのうえで、研究所が取り組もうとしている伝統の森計画とは共通している部分もあるが、どこか少し違うことに気がついた。

 西洋的な、人間の居住空間とは別の空間としての「森」という認識。あるいは、これまで日本などで行なわれてきた「開発の対象としての森」の裏返しとしての「保護する対象としての森」という認識。「伝統の森」が意味する森は、こうした認識によってアプローチできる「対象」とは、一線を画しているように思う。

 そして、もっともはっきりしていることは、わたしたちは生活の場をそこに作り出そうとしている、ということだ。研究所が現在進めている伝統織物の復元と活性化の活動は、研究所の大所帯がそれで食えることを同時に意味している。そのリアリティが大切であり、それを実現することが目標となっている。現在の研究所のレベルでは、過去にあったカンボジアの絣の世界と同等の布を完全に復元するまでには至っていない。かつてカンボジアにあったすばらしい色と糸、それを再現するために「伝統の森」計画はある。

 これまで日本で使われてきた自然保護という言葉のなかにどれほどの意味があるのかわからないが、いま研究所が取り組もうとしていることは、それよりももっと積極的な意味で「生きた森」の再生である。これは、人が自然と共生するためのひとつの未来モデルの構築でもある。

 また、日本語の「伝統」という言葉の使われ方に、過去の出来事を保存するというイメージがついてまわっていることは否めない。だが、研究所が現在進めている、そして取り組もうとしていることは、保存のためではない。今、そして未来に向けた「伝統」の新たな創造なのである。伝統とは、固定化されたものではなく、時代と共に常に変化して生き続けてきたもののはず。そうやって生き続けてきたものが、結果として伝統と呼ばれたものではないだろうか。

 わたしにとっての「伝統」とは抽象的な概念ではなく、具体的な人々の積み重ねられてきた経験であり知恵であり、そしてそれを支える精神(=心)をさす。その心を現在に活かすこと。そして、「森」はわたしたちを取り囲む自然環境といえる。この「伝統の森」再生計画は流行の言葉で言えば、持続可能な循環型社会=村の構築をめざしているともいえる。

 わたしは、NGO専門家でもなく、ましてや社会学者でもない。織物が織られている現場のなかですごしながら、自然の草木を相手に染色にあけくれ、織物の素材の宝庫である自然と付き合い、村人の伝統の知恵や経験から学んできた。日本でタイでそしてカンボジアで、生活者としてそこに生きる人々との出会いのなかで、わたしは「伝統の森」計画を思いつくに至ったのである。そのことを大切にしたいと思っている。

更新日時 : 2003年3月 3日 10:21

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