IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男
IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男

ひとつのドラマ

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ときには、スタッフの身の上話のようなことを聞くことになる時もある。ポルポト時代に強制結婚させられ、もちろん兵隊だった彼は亡くなり、子供を抱えて生きてきた研修生の女性。そんな話を聞かされる。戦乱の中で生き延びてきた人たち、そして、その子供たち。研究所の一人一人がドラマを持っている、そう言っても過言ではない。
ときに、そんな研修生の話を聞き終えて、相棒のロタ君に、いや彼女は大変らしい、と。しかし、彼は「みんな問題を抱えている、問題のない人なんかいないんだよ」と一言。なかなか厳しい。

昨日、自分でハンドルを握ってバッタンバンまで日帰りしてきた。シエムリアップに戻れたのは夜中の10時。久しぶりの、国道という名のオフロード。工事中なのか、道がただ壊れているだけなのか、良く分からない所も。あまリの激しさに、借りたトヨタカムリは、ホイールカバーが一個無くなり、バッテリーのキャップも飛んでしまった。やはり、カンボジアンオフロードにようこそ、だった。
ここ数週間、研修生の一人が、研究所に来るたびに何度か泣いていた。彼女はチャム人。お母さんは彼女のお父さんにあたらしい奥さんができて別れたらしい。そしてマレイシア人と再婚してマレイシアに暮らしている。事情があって、彼女はシエムリアップの親戚の家に厄介になり、一年半ほど前から研究所のお絵かき組にいる。そして、また事情があり、お母さんの指示で、もともとの田舎に戻らなくてはならなくなった。それが、涙の原因。カンボジアではまだ両親の言葉は重い。そして。イスラムだから余計なのかもしれない。
彼女はもう二十歳。自分の行く道は自分で決められるはず、そして本人もそれを望んでいる。しかし、彼女の周りの人たちは、そうではない。一昨日もそんなふうに泣きながら、早朝おじさんに同行されてバッタンバンに行ったようだった。研究所の仲間たちも心配している。そのひとり、同じチャム人の研修生が、彼女のお父さんがわたしとバッタンバンへ一緒に行くから、お母さんを説得して、彼女がまたここで働けるようにしてやってくれ、と言ってきた。
そして、そのお父さんと通訳兼のロタ君、同僚のバッタンバン出身の研修生の女性、わたしの4人で朝8時すぎにバッタンバンへ向かった。
肝心のお母さんは、マレイシアから事情がありこれなかったらしい。いかにもイスラム男といった風な、おじさんたち5人を前に、わたしはいかにカンボジアの伝統織物の中でチャムの人たちの織物がすばらしかったか、そしてそれを復元しようとしていることをひとしきり演説してしまった。そのためには田舎に帰させられようとしている彼女の役割がいかに大切であるかを、しっかり付け加えて。そんな男たちとのやり取りの話を横で聞いていた、お母さん世代の女性たちが好意的な、動き。そして同行してくれた研修生のお父さんもチャム人同士の会話で援護射撃。
無事に、泣いていた彼女は研究所に戻れるようになった。自分の人生が自分で決められない、それはやはり不幸なこと。できれば、あってはならないこと。ほっとしながら、暗闇のオフロードをシエムリアップに向け戻ることができた。

更新日時 : 2003年6月18日 12:57

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