2003年7月アーカイブ

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きょう研究所に香港からのお客さんがあった。9月15日から12月15日までシエムリアップで予定している、研究所主催の「カンボジアの絣」展示会開催のための予算支援を、香港にあるテキスタイルソサエティーという布好きの人たちの集まりに申請した。そのために、香港からイギリス人夫婦が研究所の様子を見に訪ねてきてくれた。

この展示会を主催する方向で考え始めたきっかけは、シエムリアップに事務所のある、センターフォークメールスタディーというフランス系の文化や学術調査などをすすめている団体の代表と、偶然行きつけの飯屋で顔を合わして、布の話にひとしきり花が咲いたあと、でもそれを展示会で出来ればいいなというところに、話が展開した、その結果であった。
話のなかで、1995年からの調査を皮切りに活動を始め、その調査はその後も継続してきた。その成果と集めてきたカンボジアの古布を展示することに意義を見出した、のである。シルクの布を織って、販売しているから、なんとなく研究所を普通のお土産もの屋さんと理解されているふしもある。だから、ときにはそうでない仕事も、ちゃんとやっていますということをアピールしたほうがいい、という意味もあった。それと、やはりわたしたちは英語であまり文章を書かないから、一般の英語圏の人たちに活動があまり知られていないこともある。そして、カンボジアで活動を始めて9年、対外的な催しをする余裕もなく、ここまできたというところも率直なとこ、それらをまとめて、展示会とセミナーをということになった。
今年の初めの頃は、まだ必要な経費も自前で何とかできるのではと思っていた。ところが、ご存知のようにイラク戦争、SARSとつづく衝撃に研究所の財政は爆破されてしまった。そして、クメールスタディーと準備の話を重ねるうちに、セミナーが徐々に膨らみ始めてきた。たしかに、この種の布に絡んだセミナーは開催されたことがない。カンボジアで初めてのものになる。プノンペンの芸術大学の先生や文化省の人たちが、話したいと、そしてオーストラリアの研究者が自費で来るから招待してくれ、となってきた。はじめはこじんまりとしたセミナーを予定していたが、なかなか立派なセミナーになってしまった。最近メイルで、アメリカやヨーロッパの研究者も参加したいといってきてくれるようになってきた。でも、予算がない、日本などあちらこちらに声をかけてみたが、なかなかそんな簡単にお金は出てくるはずもない。そんなときに香港から、場合によってはといい返事をいただいた。

わたしたちと他の組織との大きな違いは、そんな予算があるから何かをするという姿勢ではないところかもしれない。常に、なすべき課題は明確である。でも、それに対してできることを、できるかたちで実施する。それがわたしのいつものポジションといえる。だから、今回も出来る形でいい、というのが根底にある。その上でどこまで、膨らませるか、それに香港が手を貸してくれそうだ。嬉しいことである。わたしたちの活動は、こんな感じで進んできた。車のギィヤーでいえば、いつもニュートラルにある、そしてときには、オーバートップ、そしてときにはスロー。たまにはバックで走り始めたりもする。

アンケート

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先日、日本の大学生の女性が訪ねてきた。ゼミの研究テーマでやはり研究所の活動を取り上げたいと。彼女曰く、研究所の活動は他のNGOと少し違うようだ、それがなぜそうなのか、それを研究したいと。
滞在期間は1週間。さっそく彼女のまな板に乗せられた研究所。彼女の調査は、スタッフのアンケートをとることから始まった。通訳はマネージャーのロタ君。すごいと思ったのは、100名の研究所のスタッフにインタビュー、アンケートをとり終えた。15歳から70歳まで、300名の内の100、三人に1人。これはなかなか出来そうで出来ないこと。その採り終えたアンケート用紙のコピーをいただいた。読み終えて、感心したり、エーと驚くことがあったり。普段仕事の中で、一人一人と接しているから、なかなか個人の夢や希望みたいな項目は知る由もない、だからこのアンケートは、それを知る良い機会になった。
研究所には、シンガー、そう歌手になりたいと思っている女性が2人いることが判明した。シエムリアップの憧れの職業、観光ガイドになりたいと思っているのも数名。それから、ちいさな雑貨屋さんをやりたい、美容院をやりたいなども数名。でも将来の夢に、家族といっしょに暮らしたいと言うのがあった。彼女は、母親が亡くなり、お父さんはあたらしい女性と再婚、いっしょには暮らしていない。研修生の幸せの基準は、まず飯が充分食べられること、そして家族が健康であること、そして近所の人たちともいさかいがないこと。それが平均?的な彼女たちの、夢なのである。そのシンプルな基準に何とか達している研修生は3割ほど。しかし、家族に病人を抱えている研修生も多く、それが経済的な負担になっているケースも逆に3割ほどいるのではないだろうか。だから、彼女たちが充分に食べられることにたいする切実な願いは、たぶん今の日本の人の生活観では理解しづらいかもしれない。
日頃、あえて数字にしていなかった統計も取ってみた。総勢310人、女性283人男性37人。既婚62、そのうち18人が寡婦、小さな子供をつれて研究所に働きに来ている。未婚258人のうち、両親がいないが21人。まだ10代で妹、弟を研究所のわずかな給料で養っている女性もいる。そして父親がいない女性は77人。年齢的には、10代が半数を占める、70歳代は3人。あらためてこの数字を見ながらいろいろ考えさせられた。

wisdom from forest

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最近、研究所の活動を研究のテーマにしたいという研究者や学生の方からの問い合わせが来るようになった。オランダからきたメイルには、海洋交易時代(いかにもオランダらしい)からのシルクの伝播について研究していて、カンボジアのシルクに辿り着いたが。と言う質問から、現在の活動についてまで。やはり昨年には、流行のエコツーリズムと文化と言うからみでカナダ人の研究者が伝統の文化、織物とアンコール観光産業とのからみで取り上げられた。
そして、昨年、わたしが講演したシアトルの大学の研究者から質問のメイルがやってきた。それには、お前のところの研究所の活動にはモデルがあるのか?どこから財政的支援を受けているのだ?といくつかの質問が寄せられてきた。もちろん、わたしたちの活動のモデルなどない。現実の中での必要性とその時々の力量が、結果として現在の活動のスタイルを生み出してきた。そして、財政は?大口のドナーなどもたない身。個人の研究所の布を買っていただく方々が主要な支援者である。年間予算などないし、そんな余裕も持たない。でも、日々活動を継続しながら、ここまで来ることが出来た。これはなかなか理解が難しいかもしれない。わたしたちの活動の、日々の現場を見ていただければ、わたしたちのサバイバルな活動のスタイルが良く分るのだが。それは、研究所のみんながそうであるように、わたしも今日生きることの中で日々の活動を継続、発展させてこれた。今年の年末から、そのアメリカ人の研究者はシエムリアップに来ることになっている。しばらく滞在するという、彼は自分の目で研究所の活動を確かめたくなったらしい。
日本的な見方で言えば、わたしたちの活動は狭い意味での「伝統の織物の復興」そして、その技術保存と言う風に捉えられがちである。たしかに当初はそうであった、しかしその活動を進めながら、その活動を担う人、とくに貧困層の女性の自立支援へ発展してきた。そして、その伝統の織物を支えていた、自然環境の再生なくして伝統の織物の再生はありえないというところに辿り着いてしまった。さいきん、わたしたちは生活NGOだと言っている。研究所のみんなが食える、生きてゆくことが出来るためのNGOなのだと。そのために、伝統の森プロジェクトではその実現のために、過去と現在の伝統の融合をめざしながら、あらたな伝統の創造を願っている。「wisdom from forest」これが「伝統の森」のあたらしい英語名である。文化と自然環境、人そして生活。それが現在の研究所のテーマと言える。

カンボジアの諺

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カンボジアの諺に「金持ちになりたければバッタンバンへ、そして貧乏人になりたければ古い車を買え」と言うのがあるらしい。バッタンバンは昔は米の集積地として栄えた町であり、後背には宝石の産地パイリンの山並みが控えている、そこから来ているもの。そして、もうひとつの古い車のほうは、最近それを地で行ってしまった。

今年の初め、プノンペンで探していた四輪駆動の車を見つけた。といっても、概観はとても走る車とは言えそうにもない。それでも、それを見つけてくれた友人の話では、エンジンは大丈夫だと、その一言と値段の安さに、飛びついてしまった。1000ドル、安い。そして、概観を直すのに約2ヶ月を費やした。この車、トヨタのハイラックス、ダブルキャビンの4駆、もちろん新車で買えば2万ドルを越す。中古でも人気があるから1万ドルはくだらない。だから、値段に引かれたわけだが、それがことの始まり。最初の見積もりから、最終の仕上がりまでにプラス2千ドル。まあそこまでは廃車同然のスクラップ、許せるかな。車は友人の手で、シエムリアップまで届けられた。いまだにその時、プノンペンから走ってきたことが信じられないが。
そして新たな、悩みが始まった。いざ走らそうとすると、まずブレーキが効かない。直す。そして、エアコンをかけるとオーバーヒート。それからまた数ヶ月、数日使うと、また故障。研究所の足として使えるようになるまで、修理屋さんにいるときのほうが長いのでは、と思えてしまうようになった。とうぜん、修理費もかさむ。毎日出て行くそのお金を見ながら、研究所のゼネラルマネージャーのロタ君曰くのカンボジアの諺になってしまった。
この車、もとはカンボジアのベトナム国境沿いの道なき道で有名なラタナキリの山の中を93年から、国連の車として使われていたらしい。それが10年。まあ、車がここまで疲弊するのもうなずける。そして、じつはその前がある、やはり国連のタイ国境の難民キャンプでの活動に使われていたようで実際は80年ごろからの車、単純には20年を超えている。それも並みの環境ではない所で激しく使われてきた、歴戦の勇士。期待していた、4駆の前輪駆動はもちろん使えず、エンジンもだましだまし。何とか最近は走れるようになった。それでも、突然ブレーキがロックなんていうこともあるが、まあ車と呼べる。
最近は、研究所の研修生が伝統の森の現場に行くのに、活躍?してくれている。荷台あわせて約20人ほどが、毎回交替で乗っていく。それでも、みんなは楽しそう。普段は車に乗れる機会などないから、そして現場で楽しそうに、桑畑などの下草刈に励んでくれる。車が修理屋にいくと、残念そうに「明日は大丈夫か?」と聞かれてしまう。

現場から7月

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日曜日の伝統の森の現場はのんびりとしている。近くの村に遊びに行ったりしているグループもある。すこしづつ地元になじみ始めてきているようだ。現在34人プラス子供たちが5人。自転車でアイスクリームを売りに来たり、野菜や果物を売りに来るおばさんたちの自転車もある。
伝統の森の現場には、昔の小川の跡がある、そこは周りよりも一段低くなっている。南北に約350メートル走っている。そのうちの南はし、約百メートル、幅10メートルほどに稲を植える準備を始めた。先月から、現場にはエンジンは中国製、車体はタイ製の耕運機が入った、それが大活躍、あっと言うまにきれいに整地、鋤きおえて後は雨が降るのを待つだけになっている。
育ち始めた藍も約20センチとすこし。タケオ、カンポット、そしてガテマラからの藍が育っている。あと3ヶ月もすれば、とりあえず藍染に取り掛かれるはず。蚕を飼うための、蚕室建設用の土地の整備も終わった、でもここしばらく研究所は財政難、建設はもう少し先になるかもしれない。と言っても、床がコンクリートだけであとは簡単な木造作りなのだが。
食事用の小屋も3棟に増えた。住居用が2棟。桑畑の一角には、8角形の涼み小屋も出来た。これはなかなか手が込んでいる。この横に、川の跡があり、ゆくゆくはそこは大きな池になる予定。出来れば魚でも飼うのもいいかもしれない。
下草刈りも順調に進んできている。でも雨季に入ったから、残っている根からまた新芽が伸びてくる、しばらくはこれとの格闘になる。でも、思っているよりも早く整地は進んできている。現場の若い衆達のエネルギーにあらためて驚かされる。

食事

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シエムリアップの研究所には現在270名ほど働く。そのうち、遠くから通っている研修生や、研究所の一角に暮らしている熟練組や師匠格の女性たち200人ほどが、11時ぐらいから、交替で昼の食事の準備を始める。ほとんどは薪でご飯を炊く。そして家から持参した野菜を中心に、魚や肉を炒めたりスープを作ったり。炭焼き、日本的に考えるととてもおいしい食事を食べている。そして、12時から食事が始まる。仕事場の一角で、それぞれ3人から7,8人でグループを作り、食べ始める。簡単な、というか質素組みは、一個のインスタントラーメンをおかずにご飯を食べている。一番安いベトナム製のインスタントラーメンは一個300リエル、約10円ぐらい、それを3,4人でつついている。でもご飯はたくさん食べる。米は1キロ25円ぐらい。一回の食事代は一人当たり10円ぐらいだろうか。研修生の彼女たちの一日の給料は約百円とすこし。それで、1日家族が暮らしている場合もある。

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