2003年8月アーカイブ

初めての生糸

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7月の末の卵からだから、最初は糸が引けるのは9月にはいってからと思っていた。ところが、早い、みんなの気持ちのままにとでも言うのだろうか、8月の末には引けてしまった。現場のみんなの顔は嬉しそうだ。日本で言えば、座繰りと呼ばれる、簡単な生糸引きである。繭を煮る、素焼きの壷以外はすべて現場で、自家製。準備はすべて整っていた。そして交替で、タコー村からの経験者、手馴れた感じで糸が引かれていく。引き終わったあとの繭のサナギは、みんなのおやつ。今回は全部で500グラムほど、でも上出来。次回は、1キロを目標に、そして現在の桑畑の面積では、約5キロほどが当面の目標だろうか。
早速、あたらしい桑畑の開墾の話が出てきた、みんなは目に見えてきた養蚕の結果に真剣だ。そして、生糸の生産を増やしていきたいと考えはじめている。
伝統の森での最初の事業、養蚕が始動した。

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最近、伝統の森の現場を訪ねていただく方が増えてきた。とくにこの8月はスタディーツアーでの来訪者が多かった。わたしたちの現在すすめている、その現場を見ていただけるのが、いちばん。開発理論の本の中の内発的、持続的などといわれている、その現場がそこにある、とわたしたちは自負している。わたしたちは「生活NGO?」、現場の研究所のみんなが食べられる、そのための活動を推し進めているNGO。それは、持続なくしてありえない、元気に動き回る現場の男たちやおばちゃんたち。そして、育つ桑の木や藍。試験的に植え始めている、木綿の木やコウゾ。そして、なんていったってお蚕さんが元気に育っている。そんな現場をぜひ見に来てください。

藍の色

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約1月ほど、わたしは架空のIKTTのホームページと交信していたようだ。インターネットの世界はバーチャルというけれども、ほんとうにそのブラックホールに入っていた。その間、更新していた「シエムリアップからの短信」は消えてしまった。No44から50まで7回分。そのうち、2週間分は保存されているわたしのパソコンのインターネットの履歴からもう一度、拾い上げることが出来たのが4回分。その他は、バーチャルの闇のなかに消えた。
このページも復刻版なんだけれども、肝心の文章は思い出せずに、あらたに書き下ろした。というのは、この藍の写真というかその色がとても気に入っているからである。
研究所でも、ほんとうに藍の世界に踏み込み始めることが出来た、これはバーチャルではない、生身の世界。伝統の森の現場でも藍の木は元気に育っている、でもちょっと極端に枝が伸びすぎのような気がする、葉の密度がない。肝心の染に必要な葉の量が少ない。これは、肥料の関係か日照の関係か、環境の点検が必要である、なかなか一筋縄ではいかないものだけれども、まだまだ苦労が必要なのかもしれない。

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伝統の森の現場には、季節ごとにいろんな花が咲いている。ちょうど、昨年の7月に土地を取得でき、8月から少しずつ開墾し始めた。だから、ちょうど一年。そんな季節の花の便りなども出来ればこれから、なんて思っている。右の写真は、伝統の森の現場から、わずか500メートルほど南に行った所にアンコール時代からの井戸の遺跡がある。といっても、井戸の形をしているわけではなく、小さな20メートル四方の沼のような所。でも今でも湧き水が耐えない。その湧き水から小さな小川ができ、伝統の森の現場の南側を流れている。この井戸には「ワニの井戸」という名前が当時から付けられているらしい。そして井戸にまつわる昔話がある。詳しくはまた次の機会に。

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ついこのあいだ、カンポットから届けられたお蚕さんの卵は順調に孵化して、元気に育っている。というよりもわずか数日でまたひとまわり大きくなっていた。この間は、2ミリほど、でも今日は5ミリを越えている。現場のスタッフが嬉しそうに、桑の葉を細かく刻んで、お蚕さんに食べさしていた。

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伝統の森の現場には、昔の小川の跡がある。幅も広い所で20メートルほど、狭い所でも7メートルほどはある。潅木で埋まっていた、川の跡をきれいに開墾した。そして、南北約340メートルの少し蛇行しながら流れていた川の跡の全容が見えてきた。南端は、ワニの井戸からの小川に合流している。南北で高低差が約5,6メートルはあるのではないだろうか。そのうちの三分の二ぐらいのところをしっかり耕し、直播で稲を作り始めた。雨季も始まったから、土地の湿気もほどよくあり、稲苗は順調に育っている。12月ごろだろうか、「伝統の森」産のお米が食べられるはずである。

復刻版 F4

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F4、エフフォーウと読む、ご存知だろうか。
研究所の研修生の三分の二は20歳前後の女性。流行の服や音楽に敏感なはず。彼女たちのなかで、最近の流行はこのエフフォーウ。香港発の4人組のシンガーたち。小さなプロマイドの入ったプラスチックの小さなケースがとくに人気。カバンにぶら下げたり、キーホルダーにくっけたリと。あたらしいプロマイドが手に入ると、みんなで取り合いになるほどの人気。シエムリアップの町を歩いていても、そんなF4のTシャツを着た若い女性を最近よく見かける。当然研究所の研修生の中でも毎日誰かが、その流行のTシャツを着てやってくる。

テレビの歌番組でも、土曜や日曜日などは必ず、そんなF4のライブが流れていたりする。わたしもこれでカンボジアに暮らすようになって9年。これまでいろんなその時々の流行のグループが登場してきたけれども、こんな香港のスターが流行りになったことはなかったのではないだろうか。じつは、これまでのカンボジアの若者の人気のスターやシンガーは圧倒的にタイ発だった。だからテレビでもそんな番組が良く流れていた。タイ語の歌を歌えてしまう若者も多かった、それほどの流行りようだった。その流れが変わった。ごぞんじの、今年の1月末のタイ大使館焼き討ちにまで発展した、反タイ感情。これは歴史の中の流れにその背景を負うところが多いのだろうが、その根の深さをあらためて垣間見た気がした。カンボジアのテレビのドラマはタイの番組の翻訳物が主流だった。逆にそれしかなかったのではないかと思えるほどだった。それが、ぷっりと消えた。

シエムリアップでも、タイ人経営のホテルやレストランの多くは撤退した。わたしも、以前は定宿にしていたバイヨンホテル。ここもタイ人がオーナーだった。現在は休業中、カンボジア人に売り渡されたらしい。そんな時代の変化に対応するように、テレビのドラマは中国製のドラマが主流になってきた、そして完全にタイ製のドラマはテレビから消えた。そして、今まであまり目立たなかった、カンボジア製のテレビドラマが見かけられるようになってきた。これは、災い転じて福となる、だろうか。こんなことが切っ掛けとなって、カンボジアのテレビ番組制作業界が豊かになればいい。そんな楽しみもこれからのもの。その象徴がこのF4かもしれない。

復刻版 養蚕事始

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ほんとうにお蚕さんがやってきた。
ちょうど選挙の投票のためにカンポットのタコー村へ帰っていた女性が、7月30日村から蚕の卵を持ち帰ってきた。約一万個はあるのではないだろうか。記念すべき日である。伝統の森のあたらしい村で養蚕が始まったのだ。
小屋の天井の梁から吊るされた、約1メートル20センチはある大きな竹のザルに入れられたお蚕さんの卵は、3日めの今日はすでに孵化が始まっていた。梁にはしっかり、伝統の魔よけの葉がくくりつけられている。2ミリほどの蚕の幼虫がザルの中で動いている。さっそく、小さく刻んだ桑の葉をもらって食べている。一週間もすれば、体長5ミリほどになる。そして、順調に育てば、9月の15日ごろには黄色い繭ができ、伝統の森の最初の黄色い生糸が出来上がるはずである。
その時はみんなでお祝いをしなくてはならない。研究所の、新しい事始。

ちょうど、伝統の森の土地が見つかり、開墾を始めてから1年になる。そして、桑の葉の苗木を準備し始めてから2年。やっとここまで辿り着くことが出来た。もちろん伝統的な繭の手引きの生糸だが、その質を上げていくこともこれからの課題。昔なりのやり方で、ほんとうにきれいな糸を引くためには、それなりの熟練が要る、その伝統の技術は途絶えかけている。それを継承し、なおかつ昔のような質を取り戻し、上げていくことはなかなか難しい。そのために、タイのスリンのクメール人の村からおばあちゃんを呼んでこなくてはならないかもしれない。みんなの知恵を持ち寄り、実現していくための、その第一歩がいま始まった。

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