2003年9月アーカイブ

精霊流し

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プチュブベンと呼ぶ、カンボジアのお盆も今年は25日に家族揃って寺に詣でるところでクライマックスに。そして翌日の早朝、川にはお盆のあいだ家に帰ってきていた身内の魂をまた送り返すために、カボーンとよぶ精霊流しを浮かべる。
バナナの幹を輪に切りそこに蝋燭やお線香を、そして霊が宿り送るための小さな旗が立てられる。こんなカンボジアの人々の自然な営みを見ていて、輪廻転生ということをあらためて考えさせられる。
人の死が、それ自体は悲しいことであったとしても、それを受け入れる気持ち。そんなことをこのカンボジアに暮らしながら感じてきた。これまでに幾度となく、身近な亡くなる人を送ってきた。そして、人々が近づいてくる死期を待ち、周りの人たちもそれにいっしょになって送る準備をし始めていく。わたしは、そんな彼らの自然の営みの姿を見ていて、改めて死とは何かということを考えさせられた。悲しいこととして、死を受け止めるだけではなく、それ以上にそれを自然な出来事として受け入れていく気持ち。
女性が多いけれども、だいたい60才を超え始めると、月々の仏の日(満月と新月、半月)に早朝、寺に出かけていく。ときにはその前日から、寺で一夜を過ごす。村の集会所で三々五々集まり、茶飲み話をしながら時を過ごす、そんな風に見えなくもない。そして、すでになくなった身内の話に花を咲かせたりしている。失礼な言い方かもしれないが、棺おけに片足置きかけた人が、両足を置くための準備に入るといえなくもない。でもそれがとても自然な動作として。そんな日々の中から、人々は自分が死ぬ、心の準備し始めるのではないだろうか。そんな風に思えてきた。
お金がないから薬が買えない、治療が受けられない。それさえも、そんな中で受け入れていく。その心はなんなのだろうか。ごめんなさい、でも他の人の臓器を買ってでも生きようとする人々がいるこの地球の、その片側でこんな風に自分の死を受け入れられることが出来る人々がいるということ。カンボジアの人々の優しさは、そんなところに根があるのかもしれない。そんなことを、川に流れる精霊を見ながら思っていた。

カンボジアのお盆

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カンボジアのお盆。その最後の締めの日とでも言うのだろうか、今日はどこの家も家族でお坊さんに寄進する食事を持って、朝お寺に行く。

カンボジアのお葬式は火葬だが、よほど特別の人か高僧でもないかぎり、一般の人の場合お墓はない。だから、亡くなるとその骨はお寺に預けるという形になる。そして、お盆にはお寺に参る。実際には、約2週間ほど前からお盆の行事は始まっている。そして、とくに年配の女性はお寺に集まる。夜をお寺で過ごすということもある。それは、自分の身内や兄弟のなかですでに亡くなった人たちを思い、弔う気持ちからお寺で時間を過ごすようである。

そしてこの盆の時期に作られるお菓子がある、ノムチュルックやノムチェックと呼ばれるものなど。それらは、バナナの葉でまかれた、大きなチマキのようなもの。これを作り、近所や知り合いのうちに届ける。わたしの所にも、昨日あたりからとくに年配の女性のスタッフから届けられてくる。葛餅のようなお菓子もあり、これはなかなかおいしい。いぜん、友人からもらってそのおいしさにまた食べたいと言ったが、彼のお母さん曰くお盆のときしか作らない、また食べたければ来年のお盆まで待ちなさいといわれてしまった。亡くなった人を思いながら作られる、そんな食べ物なのであろうか。
たくさんの人がお寺に集まるせいか、日本の縁日のように、子供向けの風船売りやアイスクリーム屋さんが寺の境内に出ている。この日は、みんなおおかた半日をお寺で過ごす。多くの女性は、この日、伝統の衣装である絣の巻きスカートをまとっていることが多い。

忘れ形見

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偶然のことで一本の刃物を手に入れた。そして、それがきっかけで2本目、3本目と、気がつけば手元に5本の似たような刃物があった。
刃物と書いたのは、これを日本刀ということにまだ少しためらいがあるから。日本刀もどきとでも言えばよいのかもしれない。研究所に来られた、服部半蔵氏の末裔にあたられるカメラマン氏、居合いの剣士、そしてその他。口をそろえて言われるのは、これは日本刀と呼べる物ではないという答え。第二次大戦の頃の軍刀かも知れないという意見も、しかしそれよりもはるかに長い時代を経てきているように思えてならない。
わたしは偶然この刀と出遭った。そして、その刃を見ながらその刀たちがたどってきた運命のようなものを感じるようになった。流れ流れて、わたしの所にやってきたこの刀たち。多くの日本の武士たちがこの東南アジアに流れてきた時代がある。東南アジアとの交易が盛んになってゆく信長の時代から、江戸のはじめ。そしてキリシタンに改宗した武士たちは、日本を離れて雇兵となってこの辺境で生きてきた。当時カンボジアにも日本人町があったという、しかしその面影も今はなく、定かではない。
この刀たちを見ながら、わたしはそんなことを思うようになった。そんな立派な、名刀といわれるものではない、下級の武士たちが携えてきた実戦の武器だったのかもしれないし、それが何代にも使い、使われながら、研がれ傷つき、身を細めて、ここまで来たのだと。わたしは、そんな勝手な思いをこの刀たちに持つようになった。それはそんな彼らの忘れ形見のようなものといえる。

二期生

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約一年半、研究所のお絵描組は目に見えて腕が上がってきた。模写や写生が中心で毎日絵を描き続けてきた、その成果。絵柄や色使いに、それぞれの個性がはっきりと見えるようになってきた。
先日も、プノンペンの芸術大学で教えているフランス人が訪ねてきた。そして彼曰く、模写よりももっと外に出て写生をと強調する。自然の光が、線が。久しぶりにそんな燃えている芸術家と、芸術論ぽいことで議論をした。でも彼も、IKTTのお絵描組の腕は評価してくれた。

そんな彼女たちの成長を受けて、最近お絵描組の二期生を募集した。研究所の研修生に告示。16人が応募してきた、簡単な絵を描くテスト。そのなかから、7人を選んだ。一期生とおなじ、色使いや形に特徴のある絵を描く研修生を選んだ。何人かは表現のレベルが高い。二期生もおちおち出来ないのではないだろうか。そんな、環境の中で二期生の腕は急激に良くなってきたのかもしれない。

あと半年ほどしたら、こんどはバイヨン寺院やアンコールワットへ写生をと考えている。そこは千年前に生み出されたクメールのデザインの宝庫。学ぶものはたくさんある。そこからデザインを起こして、あたらしい絣の柄が生まれれば、まさに伝統の新しい創造につながる。そんなことを、これからのお絵描組のひとつの課題にしてゆければと思っている。

シソワット殿下

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伝統の森の現場に、プロジェクト視察のためにシソワット殿下が来られた。
うれしいことである、シソワット殿下は現在カンボジア政府の農村開発省のなかでカンボジアの養蚕プロジェクトの振興策を実施、その中心を担ってこられた。そのなかには、フランスの団体と共同でシエムリアップでもプロジェクトを実施されてきている。これまでにも何度かシエムリアップの研究所には来ていただき、わたしたちのすすめてきた、伝統的な織物の復元活動に高い評価をいただいていた。そして今回、伝統の森の現場を直接視察していただくことになった。それは、わたしたちが現在現場ですすめている養蚕プロジェクトへの協力のためでもあった。すでに、建てはじめているお蚕の蚕室の建設費を支援していただけることが決まった。
視察されて、植樹を始めた染色の素材となる木々への関心が強かった。ラックの赤色、ブロフーの黄色、藍のブルーと色の基本の三原色を自然の染料で得られるための準備が「森」ですでに始まっていることにあらためて驚かれていた。農村開発省でも自然染料に対する取り組みが今後の課題となっているようで、研究所が協力していくことになっている。
それ以外にも、これまでの研究所の伝統から学ぶ姿勢を尊重していただいた上で、いくつかの共同事業があらたにはじまる可能性も出てきた。カンボジアの伝統織物の復元とその活性化を願って活動してきた研究所にとって、新しい展開の切っ掛けが生まれたことになるのかもしれない。

生まれたといえば、森の現場で赤ちゃんが生まれた。タコー村からのスタッフのこども、今日で5日目、元気に育っている。男の子。まだ名前は決まっていないと言う。これは、縁起の良いこと、この子がこれから森で育っていくように、伝統の森プロジェクトも元気に育っていって欲しい。

染の苗木

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自然の染めは、自然の恵みという。しかし、恵みだといってもらってくるだけでは途絶えてしまうもの。自然に帰すことをすることで次の恵がある。森は人の手が入ることで生かされる、そしてそこから恵を得ることができるもの。それは、単純な自然保護論とは異なるものである。
研究所では、伝統の織物を復元する過程で、その伝統を支えてきた自然環境の存在に気がついた。豊かな自然環境が、豊かな伝統の織物を支えてきた。そして、研究所ではその再現のために、戦争の混乱の中で人の手により壊されてきた自然環境を復元することで、織物の復元を実現するプロジェクトに取り掛かり始めた。それが「伝統の森」計画である。
ここ数年、研究所の裏庭で、苗木の準備を進めてきた、その数はまだまだ僅かなものである。しかし、その小さな一歩をすでに踏み出すことが出来たと思う。伝統的に染色の素材として使われてきた、ブロフーと呼ぶオトギリソウ科の木。この木は、反日陰の環境で育つ。何回かの失敗を重ねながら、知りえてきたことである。そして、数年やっとそのブロフーの苗木を「森」現場に植えることが出来た。そのための木漏れ日のある小さな林を準備した。そして、カイガラムシが育つための寄生樹。あらたに、グワバの木が使えることがわかった。そして、苗木の準備をやはり一年前に始めた、そして昨日その苗木を100本ほどだが、森に届けた。
まだはじまったばかりの、森の再生計画。

山口以西にて

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研究所の様子が日本のテレビで紹介される。今年の4月から約4ヶ月、シエムリアップに滞在して研究所の日々の活動の様子をビデオカメラに記録されていた、カメラマンの寺島修二さんの仕事がテレビの番組になる。
福岡のRKB毎日放送がキー局の、ムーブ2003「カンボジアの絹織物に魅せられて(仮題)」。でも見ることが出来るのは、残念ながら山口県以西。じつは2年ほど前にも、おなじRKB毎日の番組で「シエムリアップに暮らす日本人」というタイトルで、やはり寺島さんの演出-カメラで一部紹介されたことがあった。でも今回は、全編IKTTの日々進化している姿を撮っていただいた。お知り合いとかで、山口以西に住んでおられる方があればぜひビデオに録画して、という方法もある。ほんとうに最近の研究所の「旬」が見られるはずなので、お楽しみに。
ちょうどこの時期、福岡市美術館で「カンボジアの染織展」が10月4日から開催されている。日本の美術館でおこなわれる染織展としては初めてのもの。貴重なカンボジアの精緻な古布が展示される。インド、インドネシアと並んでカンボジアの絣は世界の3大絣と呼んでも過言ではない。しかし、長い内戦のなかで海外に紹介される機会も少なく、一般にはあまり知られてこなかった。その素晴らしい世界を楽しんでいただければと思う。

RKB毎日放送 10月11日(土)17:00、RBC 琉球放送 10月12日(日)25:25、TYS テレビ山口 10月14日(火)10:25、MRT宮崎放送 10月14日(火)24:30、RKK 熊本放送 10月15日(水)25:50、NBC長崎放送 10月16日(木)25:45、OBS 大分放送 10月18日(土)07:00、MBC 宮崎放送 10月19日(日)06:15

もうひとつのバライ

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アンコールの遺跡のひとつ、東バライ。大きな人工の湖といえる。しかし、その建造の目的はいまだ謎のなか。いくつかの説がある。でも、わたしはアンコールを伝説の須弥山に見立てたように、バライはその須弥山をいただく大海を模したもの、という風に思いたい。
そんな、当時のバライもいまでは地元の人たちの憩いの場。日曜日やお休みの日はたくさんの人でごったがえすほど。海水浴場である。日陰には海の家があり、いろんな物が売られている。家族連れで、休みの日を過ごす人たち。楽しそうに、水遊びを楽しむ人たち。ここには、外国人の観光地とは違う、地元の人たちのもうひとつのバライがある。時間がある方は、ぜひそんなバライも楽しんでいただければ、と思う。

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研究所ではじめての藍のすてきな色の布が染まりました。
田村佐和子さんが中心になって、藍の栽培から伝統的な泥藍作り。そして、泥藍を建てるところから数日、一度、二度、ゆっくりと数日おきながら、布と糸を染めてみました。
久しぶりにというのでしょうか、藍の素敵な色に出会えた気がします。最初は、浅葱(あさぎ)と呼ばれる、淡い藍の色。これもなかなかきれいな色です。昔の、侍の夏用のはかま(袴)の色に良くある色ですね。そして、今日は、もう一度重ねて染めてみました。ちょうど、程よい藍色に何とか辿り着いた感じです。
カンボジアで途絶えてしまった、藍染め。本格的にはこれからですが、やっと、その入り口まで来れたようです。現在の研究所の布の中には藍色はまだありませんが、来年、あと半年ほどしたら、新作として、藍色の布が登場するはずです。お楽しみに。

研究所のこどもたち

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研究所にはたくさんのこどもたちがいる。なかには、研究所に来たときはまだ独身、そして、結婚、今ではお母さん。そして、赤ん坊をハンモックに入れてあやしながら仕事という女性も。研究所はお母さんがこどもをつれて来ることを受け入れている。そんなせいか、最近その数が増えつつある、それもよし。仕事をしているお母さんの横ですやすや寝ている子も。保育所をと思った、でも彼女たちは、こどもはお母さんのそばに居るものと言った。こどもを連れて働けるからここに来た、と言うお母さん研修生もいる。

蚕供養

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8月の末に伝統の森ではじめての生糸が出来た。
95年にカンポット州のタコー村で、伝統的に行われていた養蚕を村人の協力で復活。そのタコー村から、2003年1月には伝統の森の現場に村人が移住してきてくれた。そして、昨年から研究所で準備してきた桑の苗木を現場に植え、その苗木は順調に育ちはじめた。そして、7月の末にはタコー村から蚕の卵が伝統の森に届けられた。わたしが、95年にタコー村に卵を届けたように。

カンボジアの伝統的な黄色い生糸。その生糸から伝統の技術と経験を生かしながら、伝統の布を研究所では織っている。そして、その布を販売しながら研究所の活動は継続することが出来てきた。現在、300名を越える研修生とスタッフがその布の販売で生活できている。家族も入れれば、優に1000人を超える人々が日々、この絹糸のおかげで生きることが出来ている。その感謝の気持ちをお蚕さんに、そんなことから今日、伝統の森で「蚕供養」の式を行った。そして、伝統の森の近くのその名も奇遇だろうか、「森の寺」と呼ばれるお寺からお坊さんたちをお呼びした。これも不思議な縁。そして、近在の年長の村人も来てくれた。嬉しいことである。こんなことが縁で、周辺の村人との関係が形作れて行けばそれもよしである。

できれば、これから毎年9月の満月の日を研究所の、そして伝統の森の「蚕供養」の日にしていければと思っている。それは、生糸への、その糸から織られた布への思いやりに通じることでもある。伝統とは経験と技術、そして大切なことはそんな素材を思いやる心である。心の失われた伝統は、抜け殻のようなもの。わたしたちは、カンボジアのそんな受け継がれてきた心=精神世界を大切にしてゆきたいと考えている。そんな気持ちをこの「蚕供養」の日に託してゆければ幸せである。

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今日は研究所に東チモールからの訪問者が。でも彼はポルトガル人。彼の両親は第二次戦争の頃からチモールに暮らしていたらしい。そして、彼のお父さんはチモールで亡くなったという。そんな彼が1999年の独立を聞き、ポルトガルからチモールに移り住んだという。
彼はチモールの伝統の織物に魅せられている。そして、その復興に取り掛かり始めた。しかし、なかなかその道は険しいようだ。そして、偶然バンコックのフランス大使館でIKTTのシエムリアップでの活動を紹介されたという。そして、ユニフェムという国連機関の事務所でもIKTTの話を聞いたようで、突然の訪問となった。
研究所のワークショップで、そして森の現場で楽しそうに働く女性たちを見ながら、彼はIKTTの活動に感激してしまったようだ。そして、わたしにチモールに一度来てくれという話まで出てきた。カンボジアと同じように、戦争の中で途絶えかけてしまった伝統の織物。その伝統の掘り起こしの仕事がまず必要だと、彼の話を聞きながら思った。いつ来れるか、と彼はわたしに迫ってきた。そんな彼の熱意に、行けないとは言えなくなってしまった。
わたしたちも、復元の仕事の中でいろんな問題にぶつかってきた、でもそんな経験を共有できればと思う。そして、自然染色の復活をチモールで何とか実現したいという。

和紙づくり

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伝統の森で和紙作りがはじまった。といっても、ほんとうに少し、試験的に作り始めたばかり。昨年の暮れ、長野県の飯田から「南信州緑の基金」のグループの方がこられて、コウゾの挿し木を20本ほど届けていただいた。早いものでもう2メートルほどの大きさに成長してきた。そして、同基金のメンバー久保田さんが研究所にボランティアで来ていただき、本格的に和紙作りははじまった。まだ、根回りの小枝を剪定しながらそれを利用しての和紙作りだから、これから。粘りを付けるための素材もいろいろ試してみることに、まだはじまったばかりのプロジェクト。でも、研究所の布のパッケージに利用したいとか、お絵描組みの絵を描く紙に、と夢だけは一人前に広がり始めている。カンボジアでは古紙を利用した紙作りがプノンペンのNGOでやられ始めたと聞く、がコウゾからの紙作りはまだこれから、カンボジアにも和紙のような手漉きの紙がつくられていたはず。でも、今ではその痕跡すらなくなっている。アンコールで売られている、拓本の紙もタイからのもの、何とかカンボジア製の紙で出来るようになればと思う。

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開墾を進めてきて、気がつけば居住用の簡易建屋が2棟、食事棟が3棟、そして耕運機の収納用に建てた建屋ではいまお蚕さんが育っている。そして桑畑、藍畑、そしてあらたにお蚕さんの蚕室を建て始めた。これは、現在の現場では一番立派な家になる。カンボジア風の建物を、屋根は素焼きの瓦でと、みんなに40年は持つといわれている。伝統の森のなかの現在の簡易宿舎的ではない、最初の建物が「お蚕さん」のためというのは、一番研究所らしいと思った。
そして、のん気なのは約1,5ヘクタールほどを開墾してきたが、まだ全体の測量やレイアウト図面が未完成だった。ちょうど藤田さんという日本人の男性が、一念発起、ボランティアで測量を手がけはじめてくれた。まだまだこれからだけれど、すこしずつ図面は出来つつある。

伝統の森で初めて生まれたお蚕さんが、元気に卵を産み始めた。これで2世代目のお蚕さんの飼育が始まる。どのくらいの卵になるのだろうか。またこれから、お蚕さんの45日のあたらしい人生が、そして10月の初めごろには、2度目の繭が出来始める。

スイスから、お客さんが伝統の森の現場を見に来られた。まだこれから最終審査が始まるのだけれども、助成申請した書類が第一関門を突破、1200から70まで絞られたらしい。インタビューを受けた、伝統文化と環境の再生の融合という「伝統の森」プロジェクトに、あたらしい評価をいただいた。でもまだこれから、来年の春ごろには結果がわかるはず。わたしたちが、これから始めていこうとしている、このプロジェクトはいろんな人たちの力が合わさった共同の仕事にしてゆきたいと思っている、そのひとつが昨日のスイスからの訪問者。実現することを願っている。

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