IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男
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中国正月、そして

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写真は伝統の森の現場に出来た木の上の見張り小屋?、アヒルたち、昨年から試験的に植え始めた綿花から紡ぐ準備をはじめたところ、そして綿の花。

今年の中国正月は1月21日。このシエムリアップの町でも深夜の12時に町の中で新年を告げる爆竹の音が鳴り響いた。昨夜あたりから、夜にはなかなか大きな打ち上げ花火があがっている。
この東南アジアの町はどこも中国系の人たちが多く暮らしている。
村の人たちと話していて、町のことを村と区別して「市場のあるところ」というような意味のスロックプサーと呼ぶことがある。だから、逆に村のことを「田もしくは、畑のあるところ」と呼ぶ。それはそんな中国系の人たちの商う、昔の街道筋の市場を連想させるような言い方であるように思える。そしてそこで商う人たちの多くは中国系の人たちではないだろうか。
やはり商いは中国系の人たちにかなわない、それがなぜなのか謎のようでもあるけれども、事実なのである。研究所でも小銭を数えるのを「恥ずかしい」と感じるのは、村からの研修生に多い。逆に町からの、中国系の研修生は小銭を数えることに違和感がない。この差は大きい。

そんな村の人たちが稼げるようになっていってくれれば良いと思いながらすすめている事業が、いまの研究所の仕事のようでもある。でも、多くの研修生は今日のお昼に何を食べようか、それしか考えていない。明日何を食べようかまでは考えていないというのも事実。これが良いことなのかどうか、というのもなかなか判断に苦しむところ。日々、食べられることで、今日があり明日があると考えれば、今日食べられることを考えるだけで充分と言えなくもない。

苗木を作り始めたところだが、研究所では森の現場で本格的な綿花の栽培に取り組み始めた。1960年代まで、カンボジアでは盛んに綿花は栽培されていた。プノンペン周辺の村の人たちの話では、昔のメコン川の河岸では綿畑が一面にあったといわれている。いまではその跡形もなく消えてしまっている。そのころ、バッタンバンとコンポンチャムには綿糸工場もあった。バッタンバンのその工場跡は今では廃墟のようになっている。コンポンチャムの工場は今では台湾系の人によって、縫製工場に生まれ変わっている。

クローマと呼ぶ庶民の布がある。カンボジアの人ならば必ず一枚は持っている布。頭に巻いたり、水浴びや物を包んだりとその使用目的は多様な布。基本は木綿。むかしは、これを手で紡いで織っていた。でもそんな伝統も消えてしまった。いまでは市場にあるそんなクローマの布も、機械で紡いだ木綿か化繊が主流である。そして、丈夫でなくなっている。でも唯一の救いは、現在でも手織りで作られていることだろうか。その肌触りの柔らかさは、手織りに勝るものはない。一番の産地はプノンペン近郊のキエンスバイ村。ごく最近では半自動化された織機に取って代わられようとしているが、かろうじて手織りの仕事が残されている。
研究所では、手紡ぎの木綿をむかしのように再現したいと考えている。20年ほど前、タイの東北タイの村を織物の調査でまわっていた頃、まだ村にはそんな手紡ぎの木綿が残っていた。その布の風合いは、今でも忘れられない。そして、丈夫だった。カンボジアの村には、そんな木綿の糸を藍で染めていた。伝統の森の現場では藍の木も育てはじめている。むかしのような、やさしくて丈夫な木綿の布をもういちど伝統の森で作り始めようとしている。それは、村の人たちの、あたらしい仕事の創造にもつながることである。そして、いまならまだ手紡ぎの技術を持ったおばあたちが村にいる、そんな彼女たちを呼んで、研究所の若い研修生に教えてもらおうと考えている。

更新日時 : 2004年1月15日 09:02

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