IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男
IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男

伝統医療

カンボジアの村にはまだ普通に、伝統医療を業とする人たちがいる。なかには祈祷師めいていたり、口寄せというのかな、亡くなった人やいなくなった身内になりきって、何かを告げる、そんなことができる人がいたりする。

些細なことで、段ボール箱を軽く蹴飛ばすつもりが、水牛でも倒しかねないほどの力が出てしまい、逆に自分の足が腫上がる、そんな経験をしてしまった。
ちょうど、本当にちょうどそのダンボールにはあたらず、横の柱の角にそのわたしの失礼な右足の小指と薬指の間がちょうどその柱の角に、本当に思い切り蹴飛ばす結果になってしまった。そして、その必然から、瞬間わたしの足の小指はパキと折れたように曲がっていた。そのあとしばらく激痛が走り。足は黒ずんできた、幸いというか、わたしの暮らす家はそんな明るくなく、老眼のせいでメガネをかけないと詳細がわからない、どちらかというとそのショックで、そのまま寝てしまった。

翌日起きてまた驚いた。足が倍以上に腫上がっている。
以前に、象足病というのかな、足の膝下が象さんのように腫上がる病気をしたことがある。突然そのときの自分の足を思い出した。えー、まさか。でもその病原菌は体に残っているらしいというのを、何かの書で読んだことがあるからなおさらである。そして、昨日の柱蹴りのことを思い出し。象足の様にひざまで腫れていないか確かめながら、変な安心感に浸った。

でも目の前の足は膝までではないけれども腫れているわけで。そして歩くと痛い。
その日は土曜日で、痛い足を引きずりながら、普段と同じように仕事をした。そして、夕方の飛行機でバンコックに行くはずの予定ももちろんキャンセル。靴が履けるような可愛い足ではないわけだからやむおえない。そして、愛用の筋肉痛の塗り薬を二日間ほど、そして外傷はないけれども、黒ずんでいるところが何箇所課あり、内出血状態であることが見て取れたので炎症止めの抗生物質を飲み始めた。
そして、月曜日、研究所のスタッフに薦められて、カンボジアの人たちがこうなったときにするように、市場に走り薬草の根を買ってきて石臼で引き始めた。そしてその黄色い根のような植物は、カンボジア産の蒸留酒と混ぜられ、袋に入れ、炭で火を起こした素焼きの鉢の上に置かれた、これまた素焼きの瓦に、ジュというほど音をさせながら、暖めその暑いままの袋をわたしの腫れた足にたたきつけ始めた。されるがまま。
そして、炎症を起こしているような気がしたので、鎮痛剤兼炎症止めの薬を飲み始めた。そしてそれから約一週間が過ぎた。朝夕2回、袋で何かスタッフが二人がかりでお呪いを唱えながら暑い袋をわたしの足にたたき続けて、足の腫れは7割がた引いてきたけれども、痛みはあるわけで。やはり簡単に考えていたけれども、そんな簡単に治りそうにないと自覚し、初めて医者に行くことを考えた。というよりは、レントゲンを撮りに行こうと思った。その間、幸い車を運転することには痛さだけを我慢すれば支障がなかったので、森の現場にほぼ毎日足を引きずりながら半日はいるというようなことをして、普通に仕事をしていた。

いざレントゲンを撮ろうと思って探し始めたら、シエムリアップにはわずかの医院しかできるところがないということがわかった。とりあえず2箇所。
日曜日のせいもあったので、昼の3時過ぎ、やっと訪ね当てた中国系の小さな医院では、夕方まで先生がいないという。
仕方がないので、もう一軒のバンコクの病院の出張所、でもわたしがカンボジア語を話すせいか、一緒に行ってくれたスタッフに、受付の女性はこの病院は45ドルと高いから最初に行った中国系の医院のほうが10ドルでいいと薦められてしまった。同じだから安いほうがいい、と。すごくわかりやすい。
夕方の5時過ぎまで、痛みの取れない少し腫れた足を見ながらすごして。その安い医院を訪ねた。
そこの、レントゲン写真機、いやこれも簡単に言えばカメラなんだからと自分に言い聞かせながら、その恐ろしく古いX線発射機の下に足を恐る恐る置いた。
出来上がってきた、フイルムを見て2度驚いた。
小指と薬指の付け根の骨が欠けている。なんというのだろうか、クメール語で足にひびが入っている、とネガを見ながらみんなはお互いに説明しあっている。そして先生いわく。ギブスをしなさい、一月。市場の買い物のようにわたしは、まずギブスはいくらするんですかと聞いてしまった。35ドル。まあ高くないな、と何を基準にしているのかわからないけど思ってしまった。でも、ギブスをこんな暑い国で一月もしていたら、その前に足が腐り始めるのではないかと思って、やはり市場の買い物のように、一晩考えさせてほしいと先生に言って病院を後にした。

実は、7年ほど前にプノンペンでオートバイを運転していてぶつけられて、首の頚椎を三箇所ほど同じようにかけさせたことがある。このときは半年ほど、体に毎日走る電気のような痺れに耐えて過ごした。その詳しい話は、このホームページのカンボジアオフロードのなかの「事故の後遺症」というタイトルで書いておりますので、興味がおありでしたらお読みください。

ギブスの代わりに、まず市場でサンダルを買った。黒いしっかりした、といってもとてもシンプルなやつを、8ドルで。じつはカンボジアでこの10年間、ほぼ同じ白いビーサンですごしてきた。でも今回の足の損傷で、ビーサンで過ごしていたけれども、小石があっただけで痛みが走るそんな感じだったから、思い切ってしっかり底のサンダルに替えた。でもその効果はてきめんであった。そして、またうちのおばあたちに薦められて、クルークマエとカンボジア語で呼ぶ、カンボジアの伝統医療の先生の門をたたくことにした、というよりそうせざるをえなくなってきた。もちろん、もともと興味があったわけで、自分がその実験?材料になることにまったく、異存がなかった。治るものなら直してみろ、という感じで。わたしは、自分の身体のなかにある自然治癒力に依存する気持ちがあるからなのだけれども。

研究所からそんなに離れていない村の地元では有名だとみんなが薦める、先生を訪ねた。顔を見て、向こうは「日本人がカンボジアの村の伝統医にやってきた」と叫んでいるし、わたしは、え、この人がとあらためて顔を見直してしまった。
実は彼は、文化省のシエムリアップの窓口のような仕事をしている人。その関係で、研究所にもよく出入りして、カンボジア人の中でのうちのフワンの一人といえる。色が黒くて小柄で、でもよくしゃべるそんな彼、でも顔には伝統的な刺青が施されている、不思議な風貌の人でもあった。だから彼自身に興味もあったのだが、それがなんと村の有名な伝統医療師という顔を持っていた。彼いわく、これもカンボジアの大切な伝統文化の一つであり、お前のやっている織物と同じなのだとわたしに一口上説明し長柄、彼の治療は始まった。

この話、彼のところを訪ねたのが昨日で、まだ進行形なのでとりあえず、また続編を書かしてもらいます。

更新日時 : 2005年5月 4日 14:03

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