雨にもマケズ
1960 年、小学校 5 年生のころ。学校の講堂で、宮沢賢治の「雨にも負けず」の白黒映画を見た記憶がある。
ここしばらく、シエムリアップも、毎日が雨の日が続いている。例年だと、雨季の始まりは 6 月ごろ、今年は 4 月の正月には、すでに雨が降り始めていた。
これも、世界的な異常気象の結果なのだろうか。今年の冬はスイスでも、例年のように雪が降らなかったと聞いている。そして、オーストラリアでは異常渇水。自然の、というよりは、人間のなせる業のような気がするが。
その、業の所産、伝統の森にできたばかりの、あたらしい野菜畑の土地へ行く道が、ここ数日、増水する川に勝てずに、半分ほど水没した。川の水が流れ込む伝統の森の沼の水位も、早くも
80 センチほど上がった。
川の増水を考え、新しく作った道は水没することも予想していた。水没しても、簡単に崩壊しないように、そのための備えもしていた。そして、今年の雨期明けの乾季には、修復しながら道をさらに固めて行こうと思っていた。そのやさき、予想よりも水没は早くやってきた。
森の現場の西側を流れる小川は、シエムリアップ川の分流。乾季には水が枯れ、雨季に流れを取り戻す。そこから、以前は西に流れる川があった。が、その奥にできたレンガ工場が
3 年ほど前、壊れていた橋を乾季に修復ではなく、土で埋めて道路を作ってしまった。
そして、もう一つ、南の村に流れる用水路があったが、これも管理されずにいるため、川の流れはそこで行き止まり。その結果、4
年前、伝統の森のいまちょうど工芸村を作っているエリアの約 5 ヘクタールの低い部分の半分は、増水がピークに達する 10
月のはじめ、二日間ほど水没した。そんな経験がある。
そのとき増水した水は反転して、沼を越えてアンコール時代の泉と水門のある東側の小川に至り、そこから、シエムリアップ川本流へ流れていった。これは、増水した水が、生き物のように自然の地形を生かしながら、新しい流れを作り出したことになる。
その水の大きな力は、トグロを巻きながら、走り抜けていくナーガにたとえられるようだった。古代の人たちが、そんな自然の大きな力の前に、大蛇=ナーガに思いを託し、畏敬の念を感じたそんな気持ちが、そのとき分かるような気がした。
わたしたちは、この自然の作り出したあたらしい流れに従い、約 30
メートルの橋を泉のそばに手作りした。いま、ふたたびいつもより早い雨季の到来を前に、水没した新しい道を見ながら、そんな心配と、川の流れをもういちど変えるために、埋められた橋を西側にあらたに作ろうかなどと考えはじめている。にわか土建屋さんである。
でも、自然の力の前に、人の力は微たるもの。そんなとき、ふと、賢治の「雨にも負けず」のフレーズがでてきた。
森本喜久男
更新日時 : 2007年05月16日 11:49