祝、禁煙
*写真右は、ワシントンDCの空港ロビーで煙草が吸えたころ
はだしの医者氏の手厚い看護のおかげで、ぶじデング熱の熱からは今朝あたりから、開放された気がする。
わたしは、予感めいたものがあることが多く、基本はそれに従っている。先日の「夜寝て、朝気がついたら、そのまま死んでいた」、そして、それでもいいかな、と想った自分がいることは、書いた。
不思議なことに、点滴を毎日しながら、じつは何度か途中で血が固まり点滴できなくなった。血が固まり易い、さらさらではない、汚れた血であることに気がついた。
食生活もあるが、一番は、なんといっても煙草。もう45年吸い続けてきた、超ヘビースモーカー。肺の中も真っ黒なはず、そこできれいな血を作るための、空気が取り入れられるとは思えない。
煙草を止めるんなら、正直、肺がんで死んでもいいと、つい最近まで意固地なわたしは思っていた。でも、ほんとうに、その死期が近いことを予感した。たぶん脳梗塞かなにかで、朝気がつけば死んで、だったのではないだろうか。
路頭に迷う、IKTTのみんなのこと、まだ、志途中の伝統の森のこと、そしてなんといっても、まだ世界で最高と言い切れる布が作れたわけではない。だから、まだ、死ねない。
まだ禁煙、二日目がすぎたところ。強い意志で、禁煙をやりとうせるか自信はまだない。でも、もう少し、長生きをせねばならないから、自信の身を自愛してやらなければ、と想う。
元気になり、来週からはいつもと同じように森の現場に出かけられるようになるだろう。約100人のシエムリアップ居残り組みを残し、森へのIKTT本体の移住は最終段階に入り始めている。
ここ数日も腕に点滴をしながら、熱の子安の時はそんな段取りや、店でお客さんと話をしたりしながら、すごしていた。
森本喜久男
更新日時 : 2007年07月07日 10:16