IKTT
IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男

森の朝

桑畑で桑の葉をのんきに食べていた水牛たちの群れがいなくなった、半ば冗談のような「水牛騒動」が一段落した伝統の森の朝。

これまで、森の男性たちはそれぞれ自分の担当の仕事の現場に自主的に行き、作業をはじめるというのが普通であった。が、この騒動以来、夜間の巡回警備や水牛捕獲の共同作業を重ねるなかで、いい意味で、結束の固まった男たちは、わたしの暮らす高床式の家の階下に毎日集まるようになった。

そして、その日の作業の確認をしながら、それぞれの現場に向かうという風になった。これは、大きな進歩であり、水牛騒動がもたらした進化といえる。

それにあわせて、各作業グループの再編をした。あらたな、木工組みができたこのグループは4名。ブントゥンというカンポットからの古参の男性がリーダー。家を建てたときの、木っ端を使い、椅子や棚を作るということをしながら、水準器や定規の基本の道具使い方を身につけ、いがんだ柱を平気で作るようにならなくなった。そして、伝統の森の工芸村エリアの中心にある、ナランの家の2階のショップの改装工事を今毎日取り組んでくれている。

染めや織の仕事だけではなく、農業やそんな大工のような仕事まで、森での生活そのものが、オンザ ジョブトレーニングなのである。彼らの経験知があがることで、森での仕事も進化することができる。

魚があまり採れなくなり、陸に上がったトンレサップ湖の元漁師の親父さんから買った、木造の5メートルの船。もう20年ほどたつ、古い船。舳先が痛んでいた。それを、森の古木から再生して、新しく、再生する作業が始まった。

この船が、森の池に装いを新たに進水する日も近いはず。その作業も、プノンペンの北、ウドンの近くの、チャムの漁師たちの村から来てくれている、大工の棟梁のお手の物の仕事。それを手伝うのは、タケオ州からあたらしく来た織手の奥さんについてきた男性の仕事。そして、そのまた助手を務めるのは、カンポットからの第一期の開墾組の、森に来たときはまだ10歳ぐらいだった男の子。そして今では、森の若者たちのひとりに育ち、作業をするようになったモンタ16歳。

そんなかれらの顔を見ながら、伝統の森の朝は始まる。内戦が始まる、60年代までこの伝統の森のエリアには、「川の村」という名前の村がここにあったらしい、そして、
今では跡形もなく消えてしまった。最近、行政や警察の関係者から、突然できた?この伝統の森の村を見ながら、これはその村が再生したものだ、と、そして村の名前もそれをつかうのがいいと、半ば勝手に決められ始めている。それは、裏がえせば行政の人たちも、IKTTのこの伝統の森にできつつある「新しい村」が公的に認知されるようになったことを意味する。先日も、そのためのあたらしい住民台帳の作成のために行政事務を扱う、郡のおまわりさんがたずねてきてくれた。

カンボジアで村を作ってしまった、日本人。そんなフレーズが、昨日、伝統の森をたずねてきた、オーストラリア人のユニセフのアドバイザーとプノンペン市の貧困層を対象にしたプロジェクトを行政サイドから取り組む担当官の女性と話しながらうかんだ。

伝統の森で始まった、手漉きの紙のプロジェクトをプノンペンでも取り組みたいと、そして、木工組みの作業を横目で見ながら、彼女は溜息をついていた。そして、わたしは、あいかわらず、大切なのは「こころ、気持ちだから」とせつめいし、動機がなければなにもはじまらないのだから、と説明していた。そして、プノンペンのたいへんな仕事を思いながら、意を新たにしながらも彼女はふたたび溜息をついていた。

更新日時 : 2008年4月26日 07:13

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