IKTT
IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男

天寿

最近、カンボジア政府の省庁の偉い方などにお会いすることが数度あった。

そして、そのたびに共通してされる質問がある。それは、あなたが死んでしまった後のことは考えているのか、というようなことで。この現在の事業を誰が引き継ぐのか、そして、その準備はできているのか。というようなこと。

さいしょは、何でみんな共通してわたしが死んだら、などと考えるのかと不思議に思った。しかし、あるとき、それがもう60歳になるわたしに対するカンボジアの人たちの思いやりのようなものなのだということに気がついた。

実は、日本人であればまだ60歳など働き盛りの真っ只中、といえなくもない。しかし、平均寿命が短いカンボジアの人から見ればわたしの年は、もういつ死んでもおかしくない歳に見えるわけで、そこから出てくる心配のようだった。

研究所で働く人のなかにも、お父さんが亡くなったというときが、そして歳を聞くと、まだわたしより若い場合が意外と多い。

最近も、スタッフのだんなさんが亡くなった。彼は、結核とそれ以外にもいくつかの病気を病んでいた。なくなる数日前に、見舞いに行った、お驚いたことに、もう祭壇の用意がされている。本人も、死が近いことを感じている。

こんな場面に何度かこれまでも出くわしてきた。それは死を受け入れる気持ち。悲壮感ではない。自然なこととして、家族や親戚、友人に見守られながら、人生を全うする。

別の見方をすれば、薬や治療をする経済的な余裕がない、ともいえる。しかし、それさえも受け入れていく人々。多くの年配の女性が、多くは60歳も過ぎたころに、頭を剃る。それと平行して、お寺に出かける機会が増える。ときには一夜をお寺で過ごすことも。それは、やはりおなじように、自分の死に対する準備ともいえる。

カンボジアで暮らしながら、そんな人々の仕草を垣間見ながら、人が生きること、そして死を迎えることに対しての自分のなかの心が変わっていくことを感じはじめている。

ここしばらく、政府の偉い方々と会う機会をえたのも、じつはこれまでの10数年から、IKTT,そして伝統の森の事業のこれからの10年のための準備でもあった。それは、きしくも、わたしが自分の死の準備をしていることと受け取れなくもない。

更新日時 : 2008年4月 8日 09:25

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