IKTT
IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男

いくつかの不思議

ひさしぶりに、プノンペンに足を伸ばした。

一晩だけの滞在で、翌日の昼過ぎにはシエムリアップに戻ってきた。顔見知りの写真家の方と会うために。ちょうど、その数日前に彼の写真集の紹介が、週刊誌に取り上げられていたの偶然見かけた。そして、その数日後に彼から電話があった。

普段は電話があっても、なかなか現場から抜けて、プノンペンまで足を伸ばせることはないのだが、ちょうどどこかに足を伸ばそうかと考えていたときだったので、快諾。プノンペンに来てしまった。

わたしと同世代の方だったらご存知だと思うのですが、ピンクフロイド。ロックのひとつの時代を作ったグループ。わたしのふだんのBGMはエリッククラプトン。しかし、ちょうど、電話のあったとき、ひさしぶりになぜかピンクフロイドを聞いていた。そして、そのままプノンペン行きが決まってしまった。

写真家の彼は、もう70歳近い。大腸癌も経験している。でも、元気である。わたしは、彼を見かけると、いつも、彼の歳までがんばろう、と励まされる。プノンペンの、90年の頃からあるカンボジア飯屋で夕食、10年近く禁酒をしていたわたしも、ひさしぶりにビールを付き合った。

話すことは山ほど、昨夜は40年ほど前の時代の話に花が咲いた。不思議なものである。時代を駆け抜けた、そんな気持ちがわたしにはある。そんな若い頃の、でもその気持ちは今も変わらない。21世紀のいま、すばらしい布をそして、伝統の森を創り上げることで、時代を駆け抜けたいと思っている。

不思議ついでに、彼の定宿のプノンペンのホテルの女将、オーナー。顔を見かけて、お互いに驚いていた。ここ数年、その店からカンボジアの黄色い生糸を買うことはなくなっていた。がIKTT設立以来、その店から黄色い生糸を買っていた。

その店の主が、いまではプノンペンの目抜き道りのホテルのオーナーになっている。カンボジアで使われているシルクの主力は、ベトナムからの輸入生糸、白い生糸である。それを一手に取引していたから、並ではない。偶然顔をあわせることになる、それも何かの縁。シエムリアップの伝統の森のお前の村を見に行くぞ、という話になった。

今朝、ホテルのオーナーのご主人とも話をひとしきり、そして、ひとつの謎が解けた。96年、IKTTとして活動を始めた頃、タコー村の生糸だけでは足りなく、当時オールッセイマーケットにあった、その店で黄色いカンボジアの生糸を買っていた。どこから持ち込まれるのか不思議に思いながら。

そして、今朝の話でその謎は解けた。かれはポルポト時代、じつは養蚕の盛んな当時はバッタンバン州のプノムスロックで養蚕にかかわっていたという。それがきっかけで、80年代には生糸を扱うようになったという。

まだ80年代、わたしは、タイのスリンの村でおなじ黄色い生糸で布を作っていた、そのとき、スリンの生糸を売る店に、時に大量の黄色い生糸が入荷しているのを見かけていた。それがどこから持ち込まれるのかまた、謎であった。当時の、スリンの農家の生糸の生産量はわずかなもので、そんな大量に作っているところなどないわけで、不思議であった。

そんないくつかの謎が、彼との話で解けてきた。内戦のさなか、プノムスロックで生産された生糸は、国境を越え、スリンの町に運ばれていたのである。そんなことも、彼は知っていた。

久しぶりに聞いた、ピンクフロイドのおかげで、いくつかの謎が解けた。

更新日時 : 2008年6月 9日 13:23

前後の記事:<< 25年 | わたしの「手の記憶」 >>
関連記事
朝の珈琲(2010年2月16日)
布が結ぶ人と人(2009年12月13日)
40という数字(2009年6月24日)
あたらしい5千年の歴史(2009年3月13日)
「桑の木基金」が10周年を迎えました(2009年1月10日)
あたらしい桑畑(2008年6月 9日)
天寿(2008年4月 8日)
バンコクエアウェイズの機内誌「fah Thai」の3−4月号で紹介されました(2008年4月 2日)
シルクセクター(2007年11月 2日)
伝統織物の復元から、村の再生へ(2007年9月25日)