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IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男

一枚の黒い布

カンボジアのお正月、「伝統の森」の住人も半分は田舎に帰省してという感じで、少し静かなお休みをと思っていたら、日本から親しい友がやってきた。結果、そう、お正月の三日間、ずーっと話続けておりました。

2000年の11月に、沖縄の南風原で開催された「アジア絣ロードまつり」。そのときも、会期中の三日間、ほぼ話し続けていた記憶がある。それ以来、年に一度ぐらいのペースで顔をあわせるようになってきたが、基本は同じ。

わたしが、まだ京都で手書き友禅の職人の見習いのころ。当時、京都の繁華街のど真ん中にあった京都書院という本屋さんで、美術関係の本を立ち読みするのがすきだった。その当時、箱に入ったような特別装丁の本は高く、煙草銭ほどの給料しかもらっていなかったわたしには、とても手が出ないもの。

そんな高価な染織関係の本が並ぶなかに、「染織と生活」という雑誌があった。その創刊号のに書かれた記事が記憶に残っていた。それは、インドネシアのチモール島での染織を紹介した彼の記事。1970年代も初めのころ。なぜか、その雑誌は、いまもわたしの「伝統の森」の家の本箱にある。

そして不思議な縁があり、大阪の千里の国立民族学博物館を訪ねた先生の横を、これからインドネシアに調査に行くといいながら準備に追われている彼と始めて顔を合わすことになる。当時、わたしはタイで村びとの織物とかかわるプロジェクトをはじめていた。1980年代。

1990年代半ば、カンボジアユネスコの調査に始まり、カンポットの村での小さな養蚕プロジェクトを立ち上げ、わたしは、タケオのおばあたちと昔の織物の技法の再現に明け暮れていた。そのころ彼は、たぶん世界の織物現場を走り回っていた。布好きな、その不思議な世界に取り込まれて、世界中の織りの歴史や技法を解き明かすために。その旅は、いまも続いている。

縦軸は、縄文時代の遺跡から出てきたゴザの道具や、その繊維や色に、話は進む。そして横軸は、地中海や南米、そして基軸といえるインドネシアに始まる東南アジアの布たち、それにからむ中国や日本など東アジアの布、そこからさらに西アジア、中央アジア、そしてアフリカへと、話は尽きない。

わたしも仕事柄、いろんな世界の染織関係の研究者やコレクターなどと会う機会がある。でも、彼ほどに世界中の実際の織りの現場に足を踏み入れながら調査研究している人に出会ったことはない。多くの場合、特定の地域や特定の織物に限定されていることが普通である。

わたしの場合、カンボジアの織物とかかわりながら、その素材としてのシルク、黄色い生糸の謎の発祥の物語に興味を持ち、絣という技法の、これもまたカンボジア独特の、三枚綜絖による綾織の織物の由来の謎に迫りたいという思いが重なり、布の向こうに見える世界の不思議にとりつかれている。

今回も、彼との話のなかで、わたしが1995年の調査のときに出会ったおばあちゃんのまとっていた、ずっしりと重い本当に細かい紋織の、マックルアと呼ぶ柿の実で黒く染められた布を前に、その家族や織りの道具の細部について話しながら、その家族がじつはカンボジアの中では少数民族のクウイ族であることへの確信を持つにいたった。それは、彼のこれまでの経験の蓄積に裏打ちされたもの。

1996年のころ、やはりクウイ族の織り手を捜していたことがある。カンボジアではアンコールの時代から森の人と呼ばれていた人々で、象使いとしても有名である。そんな人々の、伝統の織りの世界がある。タイの東北地方ではその伝統はかろうじて伝承されていた。しかし、カンボジアでは、内戦のなかで、ほぼ完全にクウイの村と呼べるところがなくなってしまっていた。

しかし、織り機の形や道具に特徴がある。彼と、タイのクウイの村の話をしながら、その黒い紋織りの布をもう一度見直すと、じつはそこにカンボジアのクウイの人たちの織りの世界が重なってきた。

独特の大きな生糸のカセ揚げようの道具がある。それをそのおばあちゃんの家で見かけていた。それが気になっていたのだが、タイのクウイの人たちの道具と同じである。クメールやラオの織り手の道具ではない。その写真をもう一度、彼と話しながら確かめてみた。間違いない。

じつは、そのおばあちゃんは数年前に亡くなられた。その家族から、形見分けのようなかたちで、いつもまとっていたその布を譲ってもらった。蚕を飼い、自分で生糸を引く、それも素足の膝を通す、独特の方法で高品質の生糸を引く。そんな、おばあちゃんの形見。そのすばらしい布を前に、二人で溜息をついていた。

先日、「伝統の森」に、カンボジア王家のプリンセスが訪ねてこられた。そのとき何点かの古布をお見せした。そのなかにこの布があり、プリンセスがその布を手にしながら、懐かしい布だといわれていた。それは、お母様がそれと同じ手触りの黒い布をまとっておられたからだという。

そんなすばらしい布を織り出していた、そのおばあちゃんも、いまはいない。この布と同じ布を、「伝統の森」でも織り出したいと思う。が、それは至難である。しかし、それは、いつか実現してゆきたいと思う、わたしのなかのとても高いハードルのひとつである。

これは、正月のあいだ話し続けていた三日間の、いちばん大きな成果かもしれない。発見ともいえる確信。

そして、われわれの話は織り機の形の変化や、そのバラエティにまで進んだ。じつは、中国の雲南地方のある少数民族の織り機がもしかしたら、カンボジアの織り機の原型かもしれない、という話まで。そして、メコンを南下して、南シナ海からスマトラのパレンバンまで。そして、カンボジアの織り手のもう一つの雄、チャム族へと話は続いた。

でも、今年はここで時間切れ。


森本喜久男

更新日時 : 2009年4月21日 19:56

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