IKTT
IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男

40という数字

ローケツ染め京都時代の知人が、「伝統の森」に訪ねてきてくれた。そして、共通の友人のことなど京都にいたころの話に花が咲いた。

かれとは、京都で当時、タイの『田舎の先生』という映画の自主上映会で知り合った。まだ、タイについての本が本屋さんに数冊しかない1979年のころ。その映画も、留学生がタイ語版を日本の友人に観て欲しいと手で持ち込み、ほんとうに素人が集まって、日本語吹き込みをした。そして、上映会。その、共通の友人が校長先生役でしゃべっていた。そのかれも、いまでは地元で数期勤める、市会議員のおじさんになっているらしい。

当時、バンコックの港湾地帯に踏み板でつながる大きなスラムがあった。

1980年、そこを訪ねたことで、わたしの人生は大きく変わった。クロントイは、そんなきっかけを与えてくれた場所である。彼もそのスラムを何度か訪ね、フイルムをまわしながら記録してきた。それがいま紹介されたりしているようだ。

たまたまなのだが、そのときわたしは「伝統の森」でIKTTの生成りの布に、ローケツ染めを試みていた。そして、話しながら京都での日々の断片が蘇ってきた。

わたしのローケツ染めの師匠は、温度の違いと、種類の違ういくつかの蝋を自在に操って、神業のような仕事をしていた。わたしは今、当時の師匠と同じ年を重ねながらも、そんな仕事の域に、達することはかなわない。

しかし幸いなことに、「伝統の森」で育った染めの材料となる植物から得た、すばらしい色がある。色が命、の染屋である。それを活かさない手はない。京都のキモノの世界で、培われてきた手染めの技術は、世界のトップレベル。それと「伝統の森」で育った、自然の染料とのコラボレーション。これが、今のわたしにできる仕事。

正倉院の宝物のなかにもあるほどに、ローケツ染めの歴史は古い。絞りと絣にならぶ、防染という技法である。インドネシアの有名なバティックも、同じ技法。いまは、東南アジア山間部に暮らす、メオ族の人たちのローケツ染めも素敵だ。

染めの基本は、煮ることで色が定着することにある。だから、色落ちがするものは染めたとはいわない、それが染め。アジアン雑貨の店に並ぶもののなかには、自然染料で染めましたから色落ちしますと但し書きのついたものがある。これは、自然の染料に対する冒涜。何百年、何千年と経て、美しく輝く布が世界中のコレクションにあるのだが。

だが、ローケツで染めた布は煮ることはできない、対極にある。蝋が溶けてしまえば、すべては消える。煮ないで染める。そう、常温で染める。それがローケツ染めの基本。自然の染料となる植物は、何百何千とある。そのなかで、常温で染められる、染め材を使う。

その代表は、やはり藍。藍は空気と触れることで色が定着していく。その性質を利用してローケツに利用することができる。その代表が、メオの人たちの美しいブルー。ペン先のような簡単な道具で、蝋を置いていく。その模様は、美しい星空をあらわすような、幾何学模様の世界。

やはり、東南アジアの山間部に暮らすヤオ族の人たちの手織りの布の世界を代表する色、それはオレンジ。渋い独特の、色の深みを持つ。その染め材はベニノキ。東南アジア一帯で自生するこの植物は古くから、染め材として利用されてきた。食用の紅として、今も使われている。カンボジアの市場には、普通に今も売られている。成長の早いこの木は、「伝統の森」のいたるところで大きなピンクの花を咲かすようになった。

黄色では、カレーの色に使われるウコン。これも、常温で染められる色。

それ以外には、黒を染めるマクルアーというインド柿の仲間。これは、藍と同じように醗酵させて染めて、やはり空気と触れながら色を定着させる。そのほかにも、常温で染められる植物はたくさんある。染め材と、その染め方や媒染材と呼ばれる助剤のような役割をする他の自然の植物などからの摘出物との組み合わせによって、色を定着させることができるものもある。

それらは、秘伝のようにして伝えられてきたもの。わたしも、そんないくつかの秘伝を持っている。それは、この25年間のタイからカンボジアという現場で、草木染めに明け暮れながら会得したもの。先日、インドネシアでバティックに取り組むアメリカ人が訪ねてきたとき、かれはその秘伝を教えて欲しいと迫ってきた。でも、わたしは、冷たく、いやだと答えた。

それは、染色の本当の極意は、じつは心、そこに尽きるからだ。

いい色を染めたいという欲。それを可能にするものは、経験や知恵もあるが、その上で心なのだと、理解するようになった。それは「伝統の森」で、そんな自然の染料の植物を育てながら、そしてそこから、すばらしい色を染めるために行き着いたところ。

といっても、その色を布に置くためには、心だけではかなわない。もうひとつ、気合もいる。なんか精神論のようですが、気合というかエネルギー。

簡単に言えば、やはり体力。手にした筆に気合を込める、それが勝負みたいな柄に惹かれる。

やはり、友禅の修行時代、運筆と呼ぶ墨絵を、少し習っていた。円山派の流れを汲む岸派に属する先生で、なかなか厳しいものがあった。使う筆にも、岸派と明記されていた、そんな筆を使う師匠。

ただ円を描くだけ。でもそこには、心が、気合がいる。そんなことを教わったような気がしている。だから、アジアの自然の植物を色にする心と、筆の先にこめられた心。そんなコラボレーションが、今のわたしの役割なのかもしれない。

訪ねてきてくれた知人と話をしながら、そんな京都時代のいくつかのことがモザイクを重ねながら、思えば21歳で始めた布を染める仕事にかかわりながら、はや40年がすぎたことを自覚した。

でも、それだけの月日を費やしてきた仕事を、今の自分自身がなし得ているのかというと、まだ疑問が。そのための課題を改めておくことができた。

そんな機会を、かれはわたしに届けてくれた。


森本喜久男

更新日時 : 2009年6月24日 08:19

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