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IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男

ラックカイガラムシの赤はほんとうに美しい その2

ラックカイガラムシの赤はほんとうに美しい その2

ラックカイガラムシの赤はほんとうに美しいからの続き)

ブロフーの黄色の上にローケツで絵を描き、その上にラックの赤でぼかしを入れてやる。藍もそうだが、常温で染められる染材の多くは最初から濃い色で染めようとすると、きれいには染まらない。薄い色から順に、徐々に濃度を上げていく。それがコツのようなもの。だから、ラックの赤も何度か薄い色から順に濃度をあげてやることで、本当に深みのある色に染まる。

そんなして染めてやった色は、しっかりと染まり、そう簡単には色は退色しない。急いで染めた色は急いで落ちる。しかし、ゆっくりと染めた色は、本当にゆっくりとしか退色しないのである。そして、ラックで染めた色は時間がたつごとに輝きを増す。不思議なことである。そんな、驚きとでも言える体験をわたし自身、これまでも何度かして来た。

アメリカのスミソニアンミュージアムに保管されているカンボジアの絣。もう160年の歳月が流れている。しかし、その色は本当にすばらしく輝いているのである。全体の基調のラックで染められた赤、そして、ブロフーの黄色と藍、そしてその重ねの緑、それぞれの色が年月を経た深みのある表情を見せていた。

内戦のさなか、カンボジアの村から貴重な布をタイのアンティック市場のために持ち出していた、盗賊団のリーダーに出会ったことがある。何千枚という布が、彼とその仲間の手で持ち出されていった。そして、そのなかの特別な布と呼べるような布は、世界のミュージアムやコレクターの手にいまも保管されている。そんな、特別な布の、当時まだ彼の手にあった何枚かを、東北タイのウボンという町で見せてもらったことがある。

その何枚かは、いまもわたしの脳裏に鮮明な絵柄として残されている。大きな寺院をあらわした模様を中心に、まわりには生命力の象徴である蛇の神ナーガやアプサラと呼ばれる天女、生命の木やパイシンと呼ばれる供え物や鳳凰のような鳥と動物たち。それは、熱帯モンスーンの豊かな自然のなかで、なお大地を埋め尽くすような洪水に翻弄されたり、ときに旱魃や日照りに見舞われたりしながら、暮らす人々の平穏と豊穣への強い思いを表している、のではないだろうか。

いまもIKTTで、製作にほぼ一年をかけてピダンと呼ばれる絵絣の布を作っている。それは、身にまとう布ではなく、特別の儀式のときに壁にかけて飾られる布。お寺で仏様の天蓋や後背を飾るために作られるもの。IKTTの中心を担う、経験年数でいえば20年、30年という織手たちの仕事である。大変な集中力と、根気とエネルギーを必要とする。いわば、彼女の一生で何枚作れるか、という仕事でもある。しかし、そんなIKTTの布作りの、数倍の手間をかけたような布が存在する。

ウボンの町の、洒落た洋風の織元の家の階上で、穏やかな日差しの中で広げられたそんな特別の布たちの束。その多くは、ラックカイガラムシ独特の鮮やかな赤い色が際立っている。ラックの赤のグラデーション、そして、藍との重なりによる紫。ラックの赤は、乾燥したものよりも新鮮な巣のほうが、色の彩度は高い。古い布の、そんな鮮やかな赤色をいま染めることができない。伝統の森でラックの生育を取り戻すことで、その色を取り戻すことができる。

タイ時代に北部のチェンライの村から届いたばかりの、まだわずかにラックカイガラムシがいるような新鮮な巣で染めたときに出た鮮やかな色が強く印象に残っている。そして、そのとき、鮮やかな美しい赤を染めるための秘密を知った。

自然の染めは、その素材の鮮度が色に影響する。ときに、乾燥したものでも新鮮なものでも同じ鮮度の色しか出ないものもある。しかし多くはその材料の鮮度がそのまま色に出る。なかには、アーモンドの木のように、乾季の太陽の強い日差しにあたりながらそのエネルギーを葉に蓄えて美しい金茶色を出してくれる。そのためか、雨季の雨にあたった葉で染めたアーモンドには、そんな溢れるようなエネルギーは感じられない。その逆に、バナナの葉は、雨季の雨の恵みで元気に育ちながら鮮やかな色を生み出す。自然の移り変わりが、そのまま色に表れる。

IKTTで日々、糸や布を染めながら、そんな移り変わる自然との付き合いに明け暮れる。そして、いい色を出したいと思えば、その植物が育つ土を耕し、養生してやることが大切であることを知るようになった。染織の世界は農業、自然との付き合いにたどり着く。豊かな自然、豊かな森があることで、豊かな織物の世界が存在する。

しかし、自然はときに厳しい存在でもある。予期せぬ突風が吹いたり、嵐がやってきたりすることもある。しかし、その中でなお生き抜くことが人々の暮らしなのかもしれない。

伝統の森で、ローケツ染の布に、ラックの赤や藍のブルーで染めるという、自然の恵みを色にしながら、その美しい色を活かしきるような仕事をしたいと思うようになった。今使っている泥藍は3年前に伝統の森で育った藍の木から作ったもの、すでに2年の月日がたっている。その自然の時間がもたらした藍の色をしている、と染ながら確信するようになってきた。そしてその深い藍色は、ラックの鮮やかな赤と重なりながら、美しい色気のある紫色を生み出すようになりはじめた。

不思議なものである、1980年の3月、訪れたバンコックのナショナルミュージアムで偶然出会った、カンボジアの精緻な絣模様の布の、その赤い糸が、本当にそのときわたしに絡みついたのかもしれない。それから30年、いまでは、その布を生み出す人々と小さな村を作りながら、一緒に暮らしている。

そして、そんな人々の持つ豊かな精神世界や生とエネルギーといえるような喜びや悲しみ。そして、ときに激しいスコールや落雷のような厳しい顔を見せる自然と向き合いながら暮らす。それは、わたしのなかで絡み合うように、すこしずつ育ちはじめている生命の木かもしれない。


森本喜久男

更新日時 : 2009年7月16日 08:29

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