IKTT
IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男

戻ってきた二人

戻ってきた二人IKTTでは、一度辞めた人が職場復帰で戻ってくることも、ときにある。無断退職でないこと、などいくつかのルールがある。でもこの二人は、いなくなってからわずか三日目の出戻り夫婦。

二人はタケオ州の出身で、奥さんは腕のいい織手、IKTTのなかでも5本の指に入る。旦那さんは大工、34才。彼も、左官仕事では丁寧な仕上げをする、わたしのお気に入りだった。しかし、5月、わたしが日本に行っているとき、森の住人の何人かの男連中が、川を挟んで隣接する、あたらしく建築中のタイ資本とのジョイントビジネスをすすめる砕石業者のおじさんの、1万頭規模の豚舎の建設に助っ人に行っていた。

そして、彼は棟梁よろしく他の男連中の束ね役をやり、注文主からみんなの手間賃をまとめて受け取った。ところが、彼は相棒の親方役の年配の男性の甘い言葉に乗り、その受け取った金を二人で持ち逃げしてしまった。魔が差した、といえばそれまでだが、その年配の男性とは、酒飲み仲間。この数年間、伝統の森でなにか問題が起こるときは、必ずといって良いほど、そんな深酒で溺れてしまう男たちが主役だった。

今回も、奥さんが持っていた僅かな金の装飾品を売り払い、そして足らない分は給料の未払い分を先渡しして、なんとかそのお金をみんなに返したようだ。みんなも、普段からの仕事仲間だから、お金が返ってくれば、それで良いということで、顔見知りの駐在さんとも話をつけたようだ。

32歳になる奥さんのほうは、本当によく働く人、休みの日にも織機に座っているほど。織上がりがきれいで、かつ倍速。IKTTにとってはなくてはならない存在に。でも、事件以来、旦那は休職扱い、お金を返し終わってもしばらくみんなから冷たい目で見られていた。住む家は伝統の森の三軒長屋のひとつ、毎日、沼で魚獲りに勤しんでいた。1ヶ月したころに、奥さんから彼の復職願いがわたしに伝えられた。伝統の森の住人の何人かのリーダー格の男性に、それとなくそんな話を伝えるが、みんな聞き流しているようだった。

わたしは、村で個人的な争いなどの問題が起こっても、基本はみんなの判断に任せる。自己浄化能力による解決を待つ。最終的な局面で、みんなの意思統一のようなときに顔を出すときがあるぐらい。先日も、訪ねてきた自然染料の研修に来ていたゴザ織の村人たちのリーダー格の男性が、質問してきた。みんな仲良く、楽しそうに仕事をしているようだけれども、村で問題が起こったりしないのかと。彼の村では、そんな問題が絶えないらしい。

伝統の森の村には、世界一のすばらしい布を作るという、一大目標がある。それを達成するために、みんなが力をあわせる、それが基本。切り株を起こし、荒地を開墾しながら、ほんとうにゼロから村づくりをしてきた。そんな、何もないところから村を作るなどということをされてきて、大変でしたね、と言われることがある。

しかし、既存の村では土地所有や家族関係などの利害関係が複雑に入り組んでいる。そこで、伝統の森プロジェクトを始めるよりも、何もない土地から始めたほうが、必要なエネルギーは少なくてすむ。プロジェクトの達成のための時間よりも、既存の村が持つしがらみや利害関係などの解決に多くの時間を費やさなくてはならない。20年以上、タイやカンボジアでいくつかの村でいくつかのプロジェクトにかかわりながら、実際にそんな経験をしてきた。

25年前、東北タイの村で手織物プロジェクトを始めようとしたとき、村の女性や小学校の先生たちは積極的だった。しかし、村の男たちは懐疑的だった。なぜなら、それまでもいくつかのプロジェクトが村にきたが、いつも村人はそれに振り回されるだけで、数年して何も村人に得るものがなく消えていく、そんな経験をしていた。村の入り口には大きな沼があった。そこで、若い村の男性たちと養魚のプロジェクトを開始することにした。

稚魚を買い、その準備を始めようとしたとき、日本の支援者の方から、魚も良いですが織物プロジェクトはいつ始まりますかと尋ねられた。半年ほどして、小さな稚魚が育つころに、村人との関係もよくなり、女性たちが始めようとしていた織物プロジェクトに村の男衆からゴーサインがでた。織物のためには、魚から。そんなことを繰り返してきた。

復職の話をもってきてから、また半月ほどして今度は奥さんから辞職願いが出た。旦那がここで働けなければ、居られないと。それから数日、わたしも忙しくゆっくり話せないで、そのまま辞める日が来てしまった。夕方、二人はシエムリアップに戻るスタッフの車に便乗して村を出た。しかし、二人を送ってから、ふと、二人がこの村に来たときのことを思い出した。着の身着のまま、手持ちのお金もなく、伝統の森に転がり込んできた。同じ村の、タケオ出身の織手を頼って。

もう2年程が経つ。二人がここにきたときの経緯も、他の人から聞いたりもした。そして、二人がここを出てもタケオの村に戻る場所はなく、また流れ流れて暮らさなくてはならないのは目に見えている。同じ長屋にいた同僚に、二人を戻してやったほうがいいかと相談してみた。みんなも、そんな事情がわかっているようで、できればそうしてあげたほうがいいと控えめに話していた。

村八分になったわけではないが、村のみんなの信頼を裏切ることをしてしまったわけで。みんなに、詫び状を入れることで、村長担当のトオル氏と何人かの主要メンバーと同意を取った。敗者復活戦は、あり。もういちど、二人にこの村でみんなといっしょに暮らすチャンスをあげてもいいと。

決断。二人が出て行った次の日。持っていた携帯電話は誰かに売ってしまったようで、連絡はすぐにできないという。同じ村出身の女性が、タケオの村の親戚の人に伝えてくれたようで、次の日には、本人から連絡があった。ほんとうに、もどってきていいのか、と。わたしは、OKした。そして、もうその次の日には、二人はオートバイタクシーに乗って戻ってきた。なぜか手にはあたらしいヤカンをもって、恥ずかしそうに、でも嬉しそうだった。


森本喜久男

更新日時 : 2009年7月23日 08:27

前後の記事:<< 突然のスコール | 森の迎賓館 >>
関連記事
新しい年を迎えたカンボジアから(2010年4月14日)
森羅万象、そして日々の暮らし(2010年4月 2日)
デーゴーの花の咲く頃(2010年2月10日)
ポジティブ思考のすすめ(2009年12月14日)
生産調整(2009年5月 2日)
暖かいまなざしを(2008年12月 1日)
森の朝(2008年4月26日)
ピアックスナエン「伝統の森」にて(2008年1月 9日)
伝統の森 - 第5地区、野菜プロジェクト(2007年12月 8日)
森の近況(2007年10月22日)