IKTT
IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男

キモノ事始

 筆を絶っていたわけではないが、もう描くことはないだろうと思っていたキモノをふたたび描き始めた。もちろん、IKTTの無地の生成りの布にローケツ染め。

 ここしばらく、少し気合いを入れて、IKTTの無地の布のショールやスカーフにローケツ染めで絵柄を描いていた。その結果なのだろうか。同じ図柄でキモノに仕上げたいという気持ちが湧いてきた。それは、自分でも予期しない心の動きだった。プロフーの樹皮で鮮やかな黄色に下染めをし、そこに蝋で柄を描きながら、藍の葉からこぼれ落ちるブルーと、ヒマラヤ山系の山々に生息するラックカイガラムシの赤を何度か重ねていく。その、自然の三原色が生み出す色の不思議、その美しさに魅せられてしまったのかもしれない。

 でも、いざはじめようとしたら、恥ずかしいことに、袖は、身頃は、などというキモノの基本の寸法も忘れていた。簡単な下絵を紙に書いてみても、身頃ごとの絵柄のつながりが、昔のように浮かんでこない。そんなに複雑な柄を描こうとしているわけではないのだが。そこで紙を細長く短冊状に切って、ちょうど人形の服を作るように、小さなキモノの立体をつくり、もう一度、自分が描こうとしている図柄の位置を確かめてみたりした。

 京都にいたころ、キモノを描くことを仕事にしていた。自分で、絵柄を起こし、その図案を呉服問屋さんに持ち込み、白生地を受け取り、キモノに仕上げて納める。ときに毎月10枚のあたらしい図柄を要求された。それを考えることは、それで大変なこと。もちろん、常に新作を要求されるわけだから、ときにはネタ切れになる。気分転換に床屋へ、そして髪の毛を切って、さっぱりしながら新しいデザインが浮かぶ、なんていうことをやっていた。

 何人かの弟子も抱えていたから、その仕事も取ってこなくてはならない。そんな親方が、突然タイの難民キャンプのボランティアに行くといい始めたのだから、弟子も大変だったと思う。得意先を紹介して、無理やり独立させたり、知り合いの親方のところへ預けたりと。なんとか廃業にこぎつけた。 最後の半年は、本当に知り合いのために何枚かのキモノを描くことで終えた。手描き友禅の仕事といっても、彩色と呼ばれる仕事からローケツ、そして本当に絵を描くように、素描きと呼ばれるような仕事までこなしていた。その上に、金箔や刺繍で仕上げをしてキモノにする。

 一枚のキモノを仕上げるまでには、いろんな職人さんの手を経ている。京都には、そんな職人さんを束ね、オーガナイズする悉皆屋(しっかいや)という業種があった。

 今風に言えば、コラボレーションする仕事。いま、「伝統の森」でわたしが担っている役割とよく似ている。桑畑のために、牛を飼い、蚕を育てて生糸を。そして、染めに使う植物を育て、染める。そして絵柄を考え、織る。そして、その販売まで。ときに布を担いで行商の旅にも出る。さらには一緒に働く、お母さんの子どもたちが学ぶ学校も建て、野菜も育てて、井戸を掘る。

 わたしの基本は、布に色を置く染め屋にあると思っている。だから、わたしの布との接点は染めたいと思える布との出会い。いまではその布を、自分で蚕から育てながら、作り始めている。トンカツ屋の親父が、どこの豚がいいと言いながら、そして、その豚に食わせる餌は......みたいな世界。でも、自分で豚まで飼っているという、トンカツ屋の親父はいないと思うが。

 絣という織物は、基本は染めの世界である。糸を括りながら、何色かの色を染め重ね、絵柄を置いていく。色が基本。友禅の世界もそうだけれども、やはり色が命。キモノの世界も自然を愛でるなかで育まれてきたもの。春の桜や夏の杜若(カキツバタ)、そして秋の紅葉、花や鳥、風に月、その心を表す技の世界でもある。

 カンボジアの伝統の布の世界とその色を追いかけながら、その深みにはまっている。なかなか、そう簡単には抜け出せるものではない。そして、色の基本の、赤と黄色と藍に絡めとられてしまった。その自然の色の深みとコラボレーション。その美しさにあらためて、心奪われてしまったのかもしれない。それが、もう二度と描くことはないと思っていた、日本のキモノをもう一度、わたしに描せようとした。

 キモノの世界では、美しいのは当たり前、それ以上のものを作れとよく言われた。すばらしい質感を持つ、カンボジアの蚕から引かれる手作りの生糸で織られた布。その布と、熱帯モンスーンのカンボジア、その豊かな自然の中で、育まれてきた恵みの色たちが、アンコールの森でいま甦る。そして、日本の京都で育まれてきた伝統の技。そのコラボレーションの極みを目指すことが、いまのわたしの仕事。しかし、それは決して簡単なことではない。

 「伝統の森」で暮らす人々の生きる姿が織りなす、喜怒哀楽。そして、絡み合う命たちのような木の葉と枝。そんな図柄を好んで描くようになった。それは、生命の木ともいえる。それは、自然と共に生きる、人々の豊かな精神世界が息づく姿ともいえる。

 ここ数日、自身の心をキモノを描かせるために追い込みながら、納得できる仕事をやり切るだけのエネルギーと集中力を得て、最初の一筆を今日、置くことができた。感謝。

更新日時 : 2009年9月30日 07:32

前後の記事:<< まつりの準備 | テイク・ファイブ >>
関連記事
ほんものの布(2009年5月13日)
一枚の黒い布(2009年4月21日)
自然を布に(2009年4月20日)
カンボジアとタイ(2003年2月 8日)
メコンにまかせ Vol.006(2001年2月 9日)
カンボジアシルクの未来のために(2010年5月14日)
ほんものの木綿の布(2010年4月 4日)
朝の珈琲(2010年2月16日)
あたらしい時代の予感(2010年1月18日)
モリモトノート(2009年12月19日)