IKTT
IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男

洪水警報発令

 ほんとうにすごい。いまもシエムリアップは、町の半分が水の中。でも幸いなことに、町の半分は浸水から免れているため、電気や水、そして市場などの町の機能は正常に作動している。

 シエムリアップ川に面したIKTTのショップ兼作業所は現時点で約70センチの浸水。もう四日目。もちろんショップもお休み状態。IKTTの前の川沿いの道路では、近所の若者たちが、海水浴場状態で水遊び。ときたま通る車高の高い車の起こす波で遊んでいる。

 伝統的な高床式の家はこういうときに、ほんとうに真価を発揮する。階下が水浸しでも、日ごろの生活は二階でしているから、家の外に出たとき以外は特に不便を感じることもない。これは古くからの人々の生活の知恵のような気がする。何年かに一度ではなく、何十年かに一度の災害に備えるとでもいうのだろうか。

 三日前には「伝統の森」も浸水。さいわいわたしの住む家は、他の浸水したスタッフの家に比べてわずかに高く、あと5センチのところで床下浸水も免れた。今回、トンレサップ湖の水上家屋で少し前まで暮らしていた、丘に上がった漁師から譲ってもらった小船が大活躍。約60人の浸水した家に住むスタッフの家族に炊き出しを開始。蓄えていた米や麺類、野菜などを利用して共同炊事。なんだかキャンプ暮らしのような、数日だった。

 日ごろ、週に一度ほどシエムリアップの町に出るときに必要な食料品などを買い貯めるということをしているせいか、数日の緊急事態で不便を感じることはない。最小限の飲み水と、生活用水があればこと足りる、ランプ暮らし。電気も、基本はディーゼルなどの自家発電で、それも夜間の必要なときだけ稼動させるという生活をしているので、さほど不便はない。蓄えてある燃料があるから、控えめに使うようにすれば、それも不安ではない。

 「伝統の森」で、エネルギーの自給率を上げていくことも、次の課題である。それは、ソーラー発電システムや小水力発電によるもの。それも、非常時に備えるということではなく、日常的な生活の仕方として。そして、牛もたくさん飼い、バイオガス発電も視野に入れたいと思っている。

 「伝統の森」が、クーレン山からの豪雨による濁流で浸水したとき、飼っている牛たちを少し小高い場所に移してやった。これは自然の地形が持つ利点かもしれない。ブルドーザーで更地にしたところでは、そんなわけにはいかない。

 昔の川の跡のようなところがあったが、そこが濁流とともに、生きた川として甦っている姿を目撃した。自然の力はすごい。濁流となった水は、人為的に作られた地形を簡単に元の形に戻していく。
 最近の『ナショナルジオグラフィック』誌でも紹介されていた、アンコール時代の9世紀の水門の跡が、「伝統の森」の敷地のはずれ、シエムリアップ川に流れ込む小さな小川のなかにある。オーストラリアのシドニー大学のチームが、数年前から発掘調査を続けている。

 昨年、その古い遺跡を保護するため、「伝統の森」の沼の水が雨季にオーバーフローして流れ込むところを、土砂を使って大掛かりに堰き止めた。その結果、「伝統の森」の畑の一部は、雨季の増水時に冠水するようになっていた。その無愛想な堰も、今回、高さ5メートル幅約10メートルにわたって崩壊してしまった。これも、自然の力のなせる業。

 もう一か所、「伝統の森」の隣接地でも、同じようなことが起きていた。

 2002年のころは、雨季の増水時も数日で引くというのが当たり前だった。しかし、新たにできたレンガ工場が、壊れていた小さな橋を埋めて道路にしてしまった。そのため雨季の増水時に「伝統の森」の沼の水位も1メートルは高くなるようになっていた。ここ数日、濁流となって増水した水は、元の地形の川につながろうと、そのにわか道路を打ち壊し、すさまじい音ともに切断していった。

 オーストラリアの遺跡発掘チームやレンガ工場のオーナーたちが、自分たちのために地形に手を加えていった不自然な構造物は、この数十年に一度という豪雨と濁流によって元の姿に戻った。それは、いみじくも『ナショナルジオグラフイック』の記事の中で、シドニー大学の研究者が500年のアンコールの王朝が衰退していった理由として指摘していた「自然の力の前にはアンコールの王たちもかなわなかったのではないか」ということに重なる。

 オーストラリアチームの指摘により「伝統の森」の沼の排水路を塞いだために、わたしたちは小さな川ともいえる新しい水路を、シエムリアップ川につなげるために造った。約200メートル、大変な仕事だった。それがなければ、わたしたちの「伝統の森」は水没する。

 濁流が寸断した道路を視察に来た地元の区や郡の行政担当者は、元あった橋を再建することに合意した。そんな大きな橋ではない。しかし、大切な橋である。いったん濁流の中に置かれた「伝統の森」のなかを、水が引いていくのとあわせて見てまわりながら、改めて自然の力の大きさと、それに対する自然の力の存在も知った。

 現在、工芸村の住居エリアになっているところは、地形的には、川の中州とでも呼べるところだった。もちろん川といっても、雨季の増水時に川がその姿を現す場所。普段は、魚もたくさんいる、マングローブに囲まれた静かな沼である。カンボジアの内戦前、60年代までは「川の村」と呼ばれる小さな村があったという。しかし、内戦の時代に戦場となり、村は消えた。

 偶然ともいえる縁があり、この地に住むようになった。そこは、古くはアンコールの森の一部とでも呼べるところ。しかし、当時は薪になる木まで切られてしまった荒地のような姿をさらしていた。それを開墾し、村を作ってきた。それと並行して敷地の半分では残された切り株から育つ新芽を残し、自然林の再生を促してきた。間引きをし、下草を刈りながら。それがこの6年、7年のうちに、小さな林と呼べるようになっていた。

 今回の洪水にもかかわらず、「伝統の森」の何箇所かのポイントでは、昔の地形で言えば崩壊していてもいいはずの大量な水が流れ込んでいたにもかかわらず、なんともなかった。水が引いた後を歩きながら、しみじみと思った。それは、毎年毎年、雨季の増水に会いながらも、大き目の砕石を入れて補修してきた道路が、ほんとうに頑として表面の土を濁流から守り、そして道路わきに育ってきた木々がその道路の崩壊を間違いなく防いでくれたことだった。

 山からの濁流は、痛めつけられた自然の叫びのような気がしている。そして、そのなかで自然と人間が共生していく作法の基本を、改めて教えられたような気がする。

更新日時 : 2009年10月 4日 07:43

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