IKTT
IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男

テイク・ファイブ

 久しぶりにジャズに聴き惚れていた。

 「伝統の森」で生まれた布に自然の色を用いてキモノを描きながら、偶然インターネットでダウンロードしていた山口百恵を聴きはじめた。それはもう30年ほど前、わたしの京都の友禅工房でのBGMは、なぜか山口百恵がときには流れていた。そのころの記憶がキモノを描きながら甦り、聴いてみたくなった。そして歌を聴きながら、やはり百恵は菩薩であると悟った。

 その先で、久しぶりにジャズを聴いてみようと思った。

 何枚かのCDは持ってはいるが、ここしばらく聴く機会はなかった。中学一年のとき、年末に近くの八百屋でアルバイトして最初に手に入れたお金でギターを買っている。レイ・チャールズやプラターズ、そしてソニー・ロリンズのサックスを知り、中学校のブラスバンドではサックスをやりたいと思ったが、先輩がすでにいた。わたしには、誰も手をつけていなかったトランペットがあてがわれた。マウスピースに当てる唇が切れるほど練習した。でもモノにはならなかった。楽才はなかったようだ。しかし聴く楽しみは、そのあとも続く。

 中学を出て、なぜか京都を後に上京。京浜工業地帯で仕事に就いた。ベビーブーム、中卒が「金の卵」と呼ばれた時代。仕事を終えてジャズ喫茶に入り浸り、みたいなことをしていた。横浜の野毛に「ちぐさ」という小さなジャズ喫茶があった。その店のアルテックの大きなスピーカーのまん前が指定席。そして、土曜の夜は新宿の「ビレッジバンガード」なんていうジャズ喫茶に朝まで。マセガキだった。

 中学生のころから油絵を書き始め、絵描きになりたいと真剣に思っていた。アルバイト先で知り合った自称詩人や絵描きの卵の先輩たち。ポップアートやシュールレアリズムなんて言葉、そんな彼らに刺激を受けながら、遊んでいた。キャンパスの風景のなかにある小さな家の屋根に、どうしても鮮やかな赤を塗りたいと思った。でも、普段使っているクローム系の油絵の具の赤ではその鮮やかな色は出せない。それは、コバルトレッドの色。でも、絵の具も決して安くない。思い切って、何日分かの昼飯代を削って、その絵の具代に当てたことも。久しぶりに「伝統の森」でジャズを聴きながら、当時のそんなことが甦ってくる。

 偶然なのだが、「伝統の森」の蚕まつりのファッションショー用に、かなり年季の入ったずっしり重い、サンスイの中古アンプを手に入れた。そしてスピーカーも。JBLのUSAの本物。ステッカーだけJBLのカンボジア製スピーカーが当たり前のなかで、いわば掘り出し物。どこかのホテルの備品だったものかもしれない。この組み合わせで、ファッションショーの音楽を聴きながら、その高音質に耳を疑った。楽器、一つ一つの音が鮮明に聴き分けられる。それが、またジャズを聴こうと思ったきっかけかもしれない。 でも、いざキモノを描き始めようとしたら、豪雨そして洪水。

「伝統の森」は数日、濁流に翻弄され、シエムリアップの工房も水の中。炊き出しをしたり、水の中を腰までつかりながら、壊れかけているスタッフの家の様子や濁流の中を歩いたりしていた。一週間ほど忙しい時間を過ごし、洪水のあとは「伝統の森」の壊れた道路や建物、そして浸水した機械類、その修復にもう10日以上を費やしていた。

 洪水の被害の中で、いちばん大きなショックは、育ち始めた藍畑が全滅したこと。濁流のなかで流されてしまった。さっそく、あらたに藍の苗木の準備に取りかかった。が、神はわたしにキモノを描くなとおっしゃっているような、そんな気にさせる。

 それにもめげず再開。が、今度は、珍しく一日降り続く雨。

 ローケツ染めをするとき、じつは極端な湿気は大敵。布が湿気を含み、描いたローがきれいに布になじまない。逆に、引き染めという、布に色を刷毛で染めてやるときは、湿気が多いほうが作業はしやすい。ローケツ染めは、絣の括りや絞り染めと同じく、ローを置き柄を作り出していく防染という染色の技法のひとつ。正倉院の宝物のなかの三纈(さんけち)と呼ばれた布として、現在も受け継がれている。そんな古い時代から、染めの技法として伝えられてきたもの。

 約14メートルの一枚の反物を張る場所などなく、キモノの布は4メートル前後に前身頃、後身頃、そして袖と裁ち、ローで柄をおきながら染め重ねていく。地はプロフーで染めた黄色、その上にラックカイガラムシの赤を基調に、そして鉄媒染でうすく紫、それを三度。そして、ラックの赤に藍のブルーをかけながら、緑基調を二度。そして、最後に布全体に柄を中心に濃淡をつけながら、もう三度ラックの赤を引く。そしてもう一度、柄の周囲に藍で陰影をつける。そんな繰り返しのなかで、柄はできていく。柄はお気に入りの、生命の木もどき、これも気合でローを筆で置く、心を込めて。

 好きなジャズの音は心地よく、ローをおく手がすすむ。久しぶりにデイブ・ブルーベック・カルテットの「タイムアウト」を聴いてみた。これは思い出の曲。このなかの「テイク・ファイブ」、これはわたしが定時制高校生だったころ、文化祭で何人かの仲間といっしょにステージで踊った曲。当時、同じ高校に音楽好きな仲間がいて、若いからジャズダンスなんていうのを放課後に練習したりしていた。昼間部には、まだはしりのロックバンドをやっているグループがおり、いっしょにイベントとして開催した。

 でも、文化祭を終えて数日後、学校に行くと先生に呼ばれた。そして「職員会議で君は退学と決まったから」と申し渡された。理由は、文化祭で催した学校始まって以来の前例のないロックバンドとジャズダンスがよくない、ただ主催者の何人かは卒業間近だから、だが君はまだ一年生だからこれからのことがある、というよくわからない理由で責任を取らされ退学となった。1965年、髪の毛が耳より長いと鋏を持って追いかけられた時代だった。

 あわてて、神奈川県内の他の県立高校の定時制に編入試験を受けた。でもそれからの新しい高校の先輩たちとの出会いが、わたしにとって貴重な時をもたらしてくれたから、退学にほんとうは感謝なのだけれども。

 絵描きを目指しながら過ごした、そんな十代のころの思い出が、じつはジャズのなかに詰まっている。そんなエネルギーの塊のようだったころが、ときに懐かしくなる。

 だからか、IKTTの若いお絵描き組の女性たちの絵を描く腕が磨かれていくのを見ながら、彼女たちの将来を楽しみにしている。別に、絵描きにならなくてもいい。そこで得た集中力や、モノを見る眼、そんなことが生かされていけばと思う。

 しかし、そのうえで何人かはわたしのローケツ染めを手伝いながら、学ぶことを楽しみにしている。嬉しいこと。そんな弟子と呼べそうな何人かが、いま「伝統の森」で育ち始めている。

更新日時 : 2009年10月15日 13:27

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