IKTT
IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男

クメール語版『森の知恵』

 多くの方々から、出版への支援をいただき、ようやくクメール語への翻訳を終えた『森の知恵』。これからというときに、じつは大きな壁にぶつかっている。 いちばんの問題は、わたし自身がクメール語を読み書きできないということにつきるのだが。もしこれをクリアできていれば、もう少し、ことはスムースに進んでいたかもしれない。

 英語の読み書きは何とか、タイ語も少しは読めたりする。しかし、クメール語は日常会話は何とかこなしているが、読み書きとなるとまったくできない。記憶力と脳のキャパシティはここまでと、勝手に理由をつけて、覚えることを怠っていた。

 サーカー青年が、英語からクメール語へ訳してくれた「森の知恵」の翻訳原稿を、わたし自身はチェックできない。だから、訳した内容について、彼とやり取りすることで彼の理解を確認し、正確を期そうとしてきた。

 たとえば、ラックカイガラムシが昔のレコード盤の原料になっていたこと。しかし、ほとんどのカンボジアの人たちは、レコード盤など見たことがない。サーカー青年は、名前すら聞いたこともないCD世代。辞書で、レコード盤の対訳から、さらに簡単な補足をつけるようにしてもらい、今のカンボジアの若い人たちでも意味がわかるようにしたり、と。

 あるとき、「伝統の森」にこられた元日本留学生のカンボジア人のAさんに、原稿に目を通していただく機会があった。彼は快く、大丈夫ですよ、チェックしてあげますと元の英語の文章と比較しながら訂正を入れていた。その日、彼は日本のグループの方たちと一緒に「伝統の森」に一泊された。そして翌朝、「できれば、元の日本語から読んでみたい」と。

 それから数日後、Aさんから電話があった。もう少し時間をくださいと。それから、しばらくして、彼からもう一度電話があった。「できれば、全体にもう一度見直したいので、一月ほどください」と。そして彼は「このままではクメール語で出すことは賛成できません」と、きっぱり。これまでも何度かお会いすることもあり、IKTTの活動や私自身のことも知っていただいている、そんなAさんの言葉。

 当初の予定からは、すでに大幅に遅れてしまっている。8月には、英語の文章からクメール語に訳してくれていたサーカー青年の母親が急に入院することになり、病院での付き添いのためにプノンペンに行ったりと、約3週間ほど翻訳作業は中断していた。9月に入ると「蚕まつり」の準備、そのあとはプチュム・バン(お盆)。やっと、クメール語の原稿が出来上がったと思ったところでの、Aさんからの、見直しの意見。

 文章を翻訳するということは、決して簡単なことではない。仕事での覚書や依頼書のようなフォーマットのある短い文章であれば、それはそれでと思うが。今回は、わたしのIKTTのホームページに書いてきた「伝統の森」での仕事や、カンボジアの伝統の織物などに絡む、わたしのエッセイのようなもの。元の日本語の文章自体、すこし癖のあるような文章である。そこから英語に訳されたものを、もう一度クメール語に訳すわけだから、当然意訳があっておかしくない。ただ、基本的な理解が異ならなければ、と思っていた。

 わたしの英語版の『BAYON MOON』。この翻訳にも、じつは約3年の月日が費やされている。翻訳を引き受けてくれたのは、アジア古陶器などの研究者のアメリカ人の女性Sさん。彼女とは、もう20年来の知り合いで、わたしのタイ時代の村での活動や、カンボジアでの活動のごく初期のころのことも知っている。

 じつは、ユネスコの手織物プロジェクトのコンサルタントとして、わたしを最初にユネスコに紹介をしてくれたのは、彼女のご主人Lさん。

 わたしがタイのバンコックで、小さなシルクの販売店「バイマイ」を開いていたころ。当時のわたしは、東北タイの村の織り手に自然染料の講習会などしながら、その出来上がった布を買い取って自分で販売する店をやっていた。市場がなければ、村の織り手の仕事は持続できない。わたしは、村の織り手のために、ささやかな「市場」を作ろうとしていた。その「バイマイ」にわたしを訪ねてきたのが、東南アジアの織物調査のあたらしいプロジェクトを抱えていた人類学者のLさんだった。

 そして、彼はわたしに自然染料の資料とレポートを書いてほしいと依頼してきた。いったんはお断りしたが、ワシントンにあるテキスタイル・ミュージアムの学芸員の方と再び訪ねてこられ、実際にいろんな材料を使って染めている人はあなたしかいない、と迫られてしまった。結果、その依頼を受けることになった。

 そのレポートの作成には、3か月ほどかかったのではないだろうか。毎日、自然の染料で染めているが、いざその学名は、英名はと確認し、さらには簡単な解説も加えてとなると、容易なことではない。今では、タイにもそんな研究者が溢れ、レポートや本がたくさん出ているが、当時は皆無。あらためて資料やメモをひっくり返しながらの作業になった。

 1983年ごろから、東北タイを中心に、わたしが村々を回りながら聞き取り調査をしてきた資料を基にまとめたそのレポートは、もちろん日本語。約15ページほどの簡単なもの。それを訳してくれたのが、日本での滞在も長い研究者のSさんだった。そんなことが縁でLさんは、カンボジアでの、手織物プロジェクトのコンサルタントとしてわたしをユネスコに紹介してくれた。

 そしてその後も、彼らが調査でタイに来るたびに店を訪ねてくれてもいた。

 わたしが『バイヨンの月』の原稿を書き上げたのは2002年、しかし、これは日本では日の目を見なかった。それから2年ほどして、ワシントンDCのアーサー・M・サックラー・ギャラリーでの展示会を企画してくれたSさんに、『バイヨンの月』の原稿を見せた。そして、急がないのであればと翻訳を引き受けていただいた。仕事で、世界中を駆けまわりながら、本当に忙しい日々をすごされている、その隙間に翻訳をしていただいた。それから約3年。出来上がってきた翻訳文を読んで驚いた。それは、わたしの日本語に限りなく近い英語の文章だと思えたからだ。染織に関する専門用語や自然染料などの植物名も含めて、日本にいる彼女の知人のアメリカ人の専門家に用語の確認もしていただいていた。

 この英語版『バイヨンの月』。それを手にした人から、ドイツ語とフランス語への翻訳が進行中である。読んだ人から、これはお前のフィロソフィー(哲学)が詰まっていると、そんなお言葉をいただいたこともある。最近では、バンクーバーの講演の際にも、多くの方から本を読んだぞ、と強い励ましのお言葉をいただいた。

 そんな経験があるからか、そろそろかなと返事を待っていたプノンペンのAさんから「もう3か月ほど時間をください」と申し渡されても、はいと答えるしかなかった。Aさんも、ご自分の仕事をもたれている方。夜の空いた時間に手をつけていただいている。感謝、それでもうれしいこと。彼を知る在プノンペンの長い友人から、彼の日本語理解力は抜群という話を、今朝も聞いたばかり。あとは彼の翻訳の出来上がりを楽しみに待つほかない。

 本当は、明日にでもほしい「森の知恵」クメール語版。日々の仕事の中で、カンボジアの多くの人たちのなかで、残念ながら機械で作られた中国などの白いシルクとカンボジア在来の黄色いシルクの違いが知られていない。それも、ある種の戦争の後遺症ともいえる。そんな知恵や経験さえもが失われている現状が目の前にある。これからの若いカンボジアの人たちに、カンボジアの伝統への誇り、カンボジアのすばらしい伝統織物の世界を知ってもらえればと願う。

 あらためて、このクメール語「森の知恵」の出版にご協力いただいている方々に、お礼の気持ちを込めて。

 そしてこの本ができあがり、カンボジアの若者たちが手にする時を一緒に待っていただければと思う。深謝。

更新日時 : 2009年11月 4日 08:21

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