テキスタイル・ラバー(その2)
わたしに『HALI』という雑誌の存在を教えてくれたKは、ラオス出身の女性で、1975年のパテトラオによるビエンチャン陥落のあと、英語の教師だったオーストラリア人の彼と離れ離れになり、その彼が闇夜に紛れて潜水具を携えてメコン河をわたり、二人してタイに逃避してきたという物語の主人公で、その実話はハリウッド映画にもなったことで知られている。そんな出自ゆえなのか、バンコックでラオスの古い布などを扱うようになり、気がつけば東南アジアの布を扱うバンコックでも知られた著名なディーラーのひとりになっていた。
83年からバンコックに住み始めていたわたしも、時間をみつけては、手作りの布を扱う店や、実際にそれらの布が織られている村を訪ねたりしていた。不思議だったのは、訪ねてみると、その多くがラオ系の人たちがオーナーだったり、ラオスの王家に仕えて織物をしていた人たちであったこと。陥落したビエンチャンをあとにタイに逃避してきた人たちが、もともとラオスでやっていたハンディクラフトのビジネスを、市場のあるバンコックで続けていたのであった。
そして、もとはフランスの影響下で美的に洗練されたデザインの工芸の世界がラオスにはあったように思え、その伝統を活かす人たちが、当時のタイに暮らしていた。それは80年代前半の話。まだ日本では、タイシルクや、その再興の祖ジム・トンプソンの名前さえ、あまり知られていなかったころである。
やがて、85年ごろから急成長し始めるタイ経済のかたわらで、ハンディクラフトと呼ばれる手織物の世界は、観光産業とともに急成長し始める。タイシルクも、観光で訪れる人たちにとっての「定番」となっていく。そうした変化とともに、ラオ系の人たちは自分たちの出自を語ることもなくなり、新しいシーンのなかで生まれ育った「おみやげ物文化」を担う、若い中国系タイ人ビジネスマンが主役になっていく。結果としてそれは、大量生産による「金太郎飴」のような工芸品を生み出していくことになるのだが。
そんなラオ・コネクションのキーパーソンのひとり、Kはバンコックの中心部にあるホテルのショッピングアーケードに、布を主にしたアンティークショップを持っていた。わたしも機会があれば訪ね、新しく入った布を見るのが楽しみだった。当時、今でもそうかもしれないが、バンコックにはビルマやラオス、そしてカンボジアなどの東南アジア半島部の質の高い伝統織物の古布が持ち込まれ、それを目当てに世界中から布好きの人たちや、ディーラーが集まってきていた。まだ珍しかった、インドのナガランドの織物も見つけることができたほど。
店に展示する以外にも、彼女は膨大なコレクションを持っていた。それは、自分で手に入れたものもあれば、預かりというかたちで、世に出る機会を待つものも。そのなかには、溜息の出るような、100年は経つであろう、すばらしい大判のカンボジア絹絣が何点か含まれていた。彼女の自宅を訪ね、それを見せてもらったりもした。そのなかの何点かはオーストラリアのコレクターの手に渡り、その後ロンドンのディーラーへ、そして噂ではパリのディーラー経由で、数年後には日本のミュージアムのコレクションになった布もある。その経緯も含め、その布に描かれたナーガの模様にたとえ、「彷徨えるナーガ」の物語とわたしは呼んでいる。
2002年9月、テキスタイル・ソサエティ・オブ・アメリカからの招聘により、マサチューセッツ州のノースハンプトンで開催されたシンポジウムに参加した。そのときも、熱心に質問してくる人がいた。そしてシンポジウムの後で、彼女はわたしに、カンボジア絣のコレクションの写真を見せてくれた。それは50枚を超える布、なかにはわたしも見たことがない図柄のものも含まれていた。彼女は、じつはアリゾナのミュージアムの学芸員で、専門は古絨毯。その買付のために、バンコックのアンティークショップをよく訪ねていたようで、目当てのカーペットの横にあるカンボジアの古布に眼が行き、気がつけばコレクターに、ということらしい。わたしが、このシンポジウムに来ることを知って、写真を用意していてくれたようだ。「シンポジウムが終わったら、アリゾナまで見に来い」と誘われてしまった。心は動けど、で次回にと約束して別れた。
世界には、そんな布好きの人たち、テキスタイル・ラバーと呼べる人たちがたくさんいる。かつては世界中で織られていた本当の自然素材だけの手作りの布。そんな古い布が持つ、不思議な手触り。そして、作り手の心がこもった布。そんな布に心惹かれるがゆえ、なのだろう。そして、そこに描かれた模様や色に引かれる。自然の中で生み出された自然の繊維を色にし、織る。そんな古くからの人びとの営み。そこには、現代の機械で大量生産された、消耗品としての布にはない、自然の温もりがあるのではないだろうか。
IKTTの布を、わたしは、ときに薬だと説明する。それは、織り手の温もりが布に宿っていること、そしてすべて自然のものだけを素材とし、人の手だけで作られ、まとうと気持ちよくなれる布だから。だが、「まとう」という言葉自体が、すでに日本では死語になっている。ひと昔前であれば、普通にあった言葉。そして、自然の手作りの布の風合いもまた、いまでは失われてしまっている。もどきはほんとうにたくさんあるけれども。
わたしはIKTTで、その極みに位置する布を、これが本当の自然の手づくりの布なのだと、それでしか生まれない風合いなのだ、といえるものを作り続けることの大切さを、いま自覚している。世界の本当に布が好きな人たち、テキスタイル・ラバーのひとたちに、そんな布を届けるために。
更新日時 : 2009年11月 7日 07:18


