あたらしい時代の予感
昨年も暮れ、業界情報にくわしい方から、フランスのエルメスが自然染色の特許をとったらしいと聞いた。それは、とても衝撃的。世界を代表する数多くのファッションブランドがある中で、かねがねエルメスは別格のように思ってきた。そのエルメスが、である。
何百年、何千年の伝統を持つ自然染料、草木染の世界で、いまさら特許とは、といささか不思議な気もするが。150年ほど前に発明された化学染料による染色が世界を制覇し、その結果、何千年の伝統の知恵は、いとも簡単に人々の記憶から消滅してしまっていた。効率化を優先する現代にあって、化学染料は自然染料と比較して、インスタント食品のように手っ取り早く染めることができる魔法の粉だった。
しかし、石油などから合成される化学染料や、クロムやカドミウムなどの重金属イオンを含む媒染剤、そして人体に害を及ばす可能性のある蛍光染料など、人間にも自然にも害をもたらすものが少なくない。
詳しい特許の内容はわからないが、生産性を考慮したスクリーン捺染とも呼ばれるプリント染色技術にかかわるものではないかと思われる。日本では江戸小紋などに代表される型染めともいわれてきたものと共通する、その技術そのものは古くからあったもの。同様の自然の染料を使ったプリント技術は、インドやインドネシアでの版木を用いたブロックプリントによる染色技術に通じる。しかし、その多くは化学染料に取って代わられ、伝統的な自然の染料による型染めの技術は消えてしまった。エルメスの特許は、その現代における華やかなプリント技術への再生ではないだろうか。
わたしのなかでのエルメスのイメージは、近世の西洋絵画の伝統を今に受け継ぐもの、とでのいうのだろうか。とても斬新だが、その根底に中世から近代にかけての西洋絵画に描かれた美意識が生かされている。それは、今は少し元気がないようだが、ちょうど日本のすばらしいキモノの世界に、江戸に全盛を迎えた応挙の丸山派や琳派と呼ばれる人たちの、絵画の伝統とその美意識が生きているのに似ている。
わたしはかねがね、あたらしい染織ルネッサンスの到来を希求してきた。その切り口は、間違いなくエルメスの自然染料による新しいファッションの世界で、切って落とされるのではないだろうか。エルメスが提示する最新ファッションのなかに、自然の染料によるプリントなどでの展開が実現すれば、それは本当に新しい時代の幕開けといえる。そして、当然エルメスに続いて、他のメーカーもその開発に力を注ぐであろうし、数年後にはファッションのトレンドとして定着してゆくと思える。
これまでの自然の染色は、限られた商品世界のなかにあった。それが、大きく変化していくことを意味する。5年先10年先には、普通にみんなが着ている服のなかに自然の染料によって染められたものが登場するようになるのではないだろうか。
自然染料による染色が、過去の伝統の技術であるという枠の中で捉えられてきたものが、ここで大きく様変わりする、そんな予感がある。自然の染料は身体にもよく、環境にもよい。自然染料の染め材の多くは、伝統的な薬の原料としても使われてきた。
その一方で、自然の染料は色落ちしやすい、という間違った常識が定着している。だが、そんなことはない。7世紀、正倉院の宝物の布は今も美しく輝いている。そして3世紀、エジプトのコプト織の布は今も美しい。
現代の、安易な染色による布作りの姿勢を誤魔化すために「自然の染料は色落ちしやすい」とささやかれてきた。そんなことはない。急いで染めた色は急いで落ちる、それだけのことなのである。
先日、アメリカのテキスタイルソサエティの秋のシンポジウムの案内がメイルで送られてきた。そのテーマは自然の染料、ナチュラルダイ。本当にあたらしいトレンドとして、自然染料が話題になり始めてきた。そのことと重なるように、ヨーロッパやアメリカから、IKTTの「伝統の森」に、自然の染料に関心がある人たちが訪れてくるようになった。
基本の自然染料の情報は、公開している。IKTTは時代の流れよりも、すくなくとも10年は先を進んできたのだから。これからも、その先を進んで行きたいと思っている。
更新日時 : 2010年1月18日 14:55