IKTT
IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男

朝の珈琲

 数人の女性たちのざわめきで、何事かなと思いながら目が覚めた。そうだ。昨日から始めた繭から糸を引く作業の準備が、わたしの家の前ですでに始まっているのだ。

 石で簡単なかまどを作り、そこに大きめの素焼きの壺を置き、火を起こす。もちろん薪で。この壺で、繭を茹でて糸をひく。昔ながらの簡単な道具によるやりかた。日本では、座ぐりと呼ばれる技法である。そして"釜茹での刑"になる蚕たち。黄色い繭から、鮮やかな黄色い生糸が引かれていく。

 お母さんの周りには、たくさんの子どもたちが集まり、茹で上がった蛹を、おやつにもらうことを楽しみに待っている。座ぐりの素焼きの壺は三組。それぞれに、三人がついている。一人は、糸を繭から引く係。二人目は新しい繭を壺に入れる係。もう一人は、糸が引かれたあとの、おやつになる蛹を取る係。そして、その横では、若い女性が引き上がった生糸を膝に載せ、糸筋を整理している。十数人の女性たちが手際よく働く姿は、見ていて、とても微笑ましい光景。そして男たちは、薪を割り、運んでくる。

 この女性たちの多くは、カンポット州からの移住組。2003年以降、「伝統の森」での桑畑と養蚕の事業開始のために、400キロの遠路をはるばる来てくれた、村の養蚕のプロたち。

 わたしの、彼ら彼女らとの最初の出会いは、1995年2月。考えてみれば、早いものでもう15年になる。そんなことを思い出しながら、目の前で引かれていく黄色いきれいな生糸に見入る。
 ユネスコの調査で、カンボジア各地を回り、途絶えているとされていた養蚕の村を探していた。そんななかで出会ったのが、カンポット州タコー村。内戦前には、養蚕が盛んだったという。しかし、人づてに聞いて、わたしが村を訪ねたとき、もうその面影はなかった。それでも、この村には養蚕のための道具が大切に残されていた。その道具類を見て、わたしは驚いた。なぜなら、アジアの他の地域では消えてしまった手法と道具が、そこにあったから。なかでも、驚きだったのは、蚕が繭になるために糸を吐くときに置いてやる床、「まぶし」といわれる道具が、自然の生葉の木の枝を束ねたものをそのまま使っていたことだった。

 その後、あらたな調査では、さらに驚くべきことが見つかった。それは、桑の木の原産地が、中国ではなくカンボジアであるということ。内戦以前に、養蚕が盛んだったという村をカンボジア各地に訪ね、その村の畑の片隅に残る桑の木の枝を集め、その枝のDNA鑑定を専門家にお願いした。その結果、カンボジアにしかない桑の木のDNAがあることが判明した。残念ながら、その後の追跡調査を完了していないために、学術的にそれを証明することはまだできていない。だが、それをわたしは、シルクのカンボジア起源の仮説の根拠とさせていただいている。このことと重ね合わせたとき、タコー村に残されていた生葉による「まぶし」の存在は、この伝統が太古より受け継がれてきた養蚕の知恵と、その証左であるように思えるのだが、どうだろうか。

 そんな話を、機会があるごとに国際機関や政府の方などにも説明させていただいているのだが、わたしの仮説を本当に信じていただける方はなかなかいないようで、残念だが、その後の調査と分析を実施するには到っていない。そのことに本気で興味を持たれる専門家の登場と、そのための調査予算が計上されるまで、もうすこし待たざるをえない。

 内戦で途絶えていた村での伝統的養蚕を再開しようと、タコー村に蚕の卵を届けたのが1995年の7月。改めて9月には、蚕を繭の状態で届け、ようやく養蚕再開を果たすことができた。そのときの、村のおばあやおじいの、息子や娘にあたる若者たちが「伝統の森」にやって来たのは2003年のこと。彼ら彼女らは、ここでは桑畑の世話と蚕を育てることが主な仕事。そしていま、タコー村の伝統の知恵が、わたしたち「伝統の森」に甦っている。

 5000年か、それ以上の歴史を持つであろうカンボジアの養蚕。その蚕は、黄色い糸を吐く。その糸は、昔ながらのシルクのよさをもっている。一方の、最近の中国では、蚕も人工飼料で飼われはじめているらしく、そして大量生産のために品種改良されすぎた結果なのか、その糸は昔の良さや強さに欠けるものとなっている。そのためか、カンボジアの黄色い生糸が、あらためて見直され、評価を受けるようになった。

 カンポット州などの地域では、内戦のなかで、その養蚕の伝統は消えていた。だが、バンティミェンチェ州のプノムスロック周辺には、養蚕の伝統がかろうじて残されていた。そして、その村々は、いまではカンボジアを代表する養蚕の村として知られるようになった。

 しかし、伝統的な養蚕による生糸の絶対量は限られている。タケオなどの織物の村で使われている生糸は、ほぼ100パーセントが、機械で引かれた白い輸入生糸。その輸入量は年間500トンともいわれている。一方、プノムスロックでは、手で引かれた在来種の黄色い生糸が生産されてきたが、その生産量は年間5トンにも満たない。

 パキスタンあたりの、高級ペルシャンカーペットを作る企業が、カンボジアの黄色い生糸を使って、昔ながらの高品質のカーペットを作るために生糸を買い占めるという噂もある。そんななか、プノムスロックの生糸は引く手あまた。フランス系の元NGOだった企業が、村に入り、村人の囲い込みを始めているという話も伝わる。そのせいか、IKTTでも使っていたプノムスロックの生糸が、最近では入りづらくなってきた。

 フランス系のその企業は、繰糸の機械を持っており、農家から繭を買う。しかし、その機械に掛けて繰り糸をするには、大きな繭が必要になる。日本や中国の品種改良された繭は、一個で1200メートル以上に糸が引ける。しかし、小さなカンボジアの黄色い繭はせいぜい300メートルほど。そのため、蚕の交配種を村に持ち込み、機械繰糸に向く800メートルを可能にする大きな繭の生産を進めてきた。その結果、在来種の小さな蚕は、簡単に絶滅してしまった。

 そのかわり、交配種ながら、フランス系企業が買わないような小さい繭が、村からIKTTに届くようになった。そんな小さな繭であっても、大切な蚕の作った繭であることは同じなのだが。

 プノムスロックの村人も、最近では繭のままで売れるようになったため、自分たちで手引きの糸にする作業を厭うようになってきた。近代化は、こうしていとも簡単に伝統を壊していく。その結果、IKTTでは生糸ではなく繭で買うことになり、「伝統の森」では繭から手引きする回数が増えている。

 数日前にも、約50キロの繭がプノムスロックの村から届いた。その繭から糸を引くために、朝早くから、「伝統の森」での糸引きが始まったのだった。そして、わたしは、そのざわめきのなかで起こされた。

 でも、「伝統の森」の村の女性たちは、元気で手際がいい。目の前には15年前のタコー村で、わたしがはじめて見たときと同じ道具類が並べられ、繭から糸が引かれていく。15年前の、あのときの光景を思い出しつつ、そんな朝の作業を見ながら、今朝は珈琲を飲ませてもらった。

更新日時 : 2010年2月16日 15:06

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