IKTT
IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男

森羅万象、そして日々の暮らし

 めずらしく、ひと月に2度も満月のあった3月が過ぎた。月の満ち欠けを見ていると、すべての森羅万象がそこにあるように思う。

 そんな月だから、なにかスペシャルなことがあるかな、と楽しみにしていたのだけれど。いつもと同じように、あわただしく一か月が過ぎていった。考えてみれば、太陽暦と陰陽暦のずれでしかない。

 あいかわらず現場で過ごす、それが取り柄のような毎日。乾季に入って、桑の木の潅水は大丈夫かとか、また周辺の村から水牛が餌を求めて桑畑に入ってこないかと心配したり。昨年、みんなで侵入してきた水牛を食べてしまったからか、今年は今のところ、不法侵入の水牛の捕獲は一頭だけ。それも念書にサインだけで、持ち主に返してあげた。

 小型発電機のエンジンがおかしい、部品が手に入らないからプノンペンで探してもらおう、とか。「伝統の森」の入り口近くの井戸のそばに建てた、あたらしい染め場の水はけがよくないからそれを直そうとか、そんなふうに日々が過ぎていく。

 「伝統の森」の女性たちは、自前の蚕の飼育の忙しさに加えて、プノムスロックの村から届いた繭の糸引きに、忙しい日々をすごしている。手引きされた、きれいな黄金色の糸の束が並び、それが陽に輝いている。

 去年の10月、洪水と濁流のなかに埋もれた「伝統の森」。そのときに、土が流され大きな砕石が露出していたところがある。そんな傷んだ道路の修復にもようやく手がつけられた。大型ダンプ2台分の、ラテライトの小さな砕石入りの赤い土を、道に沿ってきれいに引いてやった。あとは、耕耘機に土を積み、スコップとクワを使って、森の男たちの手仕事である。野菜畑の奥では、あたらしい桑畑の開墾も始まった。昨日からは、乾季の渇水に備えて、あらたな井戸の掘削が工芸村の「森の迎賓館」のそばで始まった。

 乾季には乾季の、雨季には雨季の、仕事が待っている。でも、この積み重ねで「伝統の森」の景色は日々、少しずつ変化していく。

 そんな忙しい日々のなかで、「伝統の森」に訪ねてこられる方も、少しずつだが増えてきている。うれしいこと。感謝、ありがとうございます。

 ドイツで何度か再放送されている、IKTTを紹介したドキュメンタリー番組を見て、どうしても自分の眼で見たかった、といわれたドイツ人の若い夫婦。

 美しい秘書の方を伴って、突然訪ねてこられたスイス人の社長さんのような方も。このお二人は、森に少し似つかわない、しゃきっとしたスーツ姿で、なにやら視察風だった。そして、具体的な質問が、次々と飛び出してくる。

 IKTTを訪ねることが目的でシエムリアップにやってきて、みんなの織りの仕事を見ながら一日を過ごし、子どもたちと遊んでいかれた日本人の女性も。

 そして先日は、「伝統の森」で約3週間過ごされた大学生の方も。彼女は、先生の許可のもと「伝統の森」に滞在して単位がもらえるらしい。いいな。

 卒論でIKTTの活動を取り上げたい、という方も少しづつ増えてきている。「伝統の森」で、IKTTが取り組んでいる仕事は、実はとても範囲が広く、深い。伝統織物のプロジェクトをやっているNGOだと思って来ると、びっくりされるはず。

 なぜなら、それはそのまま、そこに暮らす人びとの生活そのものだから。風土と呼べる自然があり、それを生かして、ものづくりに取り組んでいる。伝統に根ざした織物があり、それを生業として暮らす人びとの喜怒哀楽が、ここにある。

 わたしにすれば、それはそのまま毎日がライブ、真剣勝負の日々である。ときには気が抜けない300人の人たちと、がっぷり四つに組んで、さあ!、みたいな感じだったりする。なかには、怠け者の男たちもいたりするから、そんな彼らは自分が怠け者であることを自覚していない節がある。でも、わたしは彼らに言う。怠けるのはいいけれども、その分の給料しか払わないから、と。

 そして先日は、夜中の3時に起こされた。臨月の織り手の女性が、産気づき、陣痛が激しくなったからシエムリアップの病院に行きたいと。その日は、農薬のかかったスイカを市場で買った別の家族が、下痢と吐き気に苦しみ、夜11時に病院に担ぎ込むことがあったばかりで、今度はわたしが車を走らせた。森に戻ってきたとき、空は白みはじめていた。

 5年ほど前であれば、プノンペンまで300キロを日帰り往復、それを一人で運転なんていうのも平気だった。10年前は、カンボジアの冗談のようなオフロードを、バイクで駆けていたのだから。が、さすがに60歳も過ぎた身になるとそんなエネルギーはなくなってきた、と自覚する日々でもある。

 そんなわたしだけれども、「伝統の森」では、ときに藪医者もどきもする。ファーストエイド、いわば緊急治療の類。

 切り傷や、転んで怪我したり、火傷。破傷風のように、雑菌が入り、腐り始めた皮膚を消毒薬できれいにして薬を塗る。じつはそんな消毒で使う薬は、うがい薬で有名なリステニン、重宝する薬である。そしてメンソレータム。この二つは欠かせない。そしてもう一つ、タイの粉薬で「秘密の粉」みたいな、怪しい名前の薬。これは、おそらく抗生物質が入っているのだろう。外傷に塗ると、傷口が乾き、肉が戻ってくる。

 わたし自身も、バイクでの転倒を何回も経験し、あるときは大型トラックとの激突を避けるために、バイクと一緒に飛んだこともある。ときには怪我になり、それを自分で治してきた、そんな経験が生きている。

 いまは会長となられて現役引退された、日本のある薬局チェーンの社長さんからは、いまでも毎年、使用期限切れ間近かで店頭に出せなくなった薬を、ダンボール一箱、届けていただく。風邪薬や胃腸薬、痛み止め、目薬、なかには栄養剤や痔の薬も。本当にありがとうございます。感謝しております。この薬のお陰で森の住人たちは元気に暮らしております。毎日、わたしの家には村の薬局よろしく、薬をもらう人が訪ねてくる。わたしの母親からもらった関節や腰などの炎症を抑える鎮痛シップも重宝している。もちろんすべて無料。

 先日、織り手の女性の旦那さんが、オートバイ事故で捻挫し、歩くのも不自由で、痛みが止まらないとやってきた。薬だけではなく、マッサージをしてほしいという。薬を塗りながら、筋肉と筋を矯正し、徐々にほぐしていく。一週間ほど続けたところ、痛みも和らぎ、普通に座っていても痛みがなくなり、歩くのも楽になったようだ。カンボジアの村には、どこの村にもクルークメールと呼ばれる伝統医療のような役割を担う人がいる。わたしも、いつのまにか「伝統の森」のクルークメールもどきになりはじめたのかな、と思ったりもする。

 300人ほどの人びとと暮らしながら、布を作る、そんな日々。300人分の喜怒哀楽も込みで引き受ける毎日である。

更新日時 : 2010年4月 2日 18:33

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