IKTT
IKTT :(クメール伝統織物研究所)森本喜久男

新しい年を迎えたカンボジアから

 例年、新年は天から降臨するテワダーと呼ばれる天使の、地上への到着時間に明けるとされている。そして、今年はそれが朝の7時半だった。

 面白いのは、降りてきた天使が最初に口にするもの、それが今年はなぜか牛乳だった。カンボジアのような暑い国では、乳牛は育てにくい。だから、一般的には乳製品は輸入に頼っているはず。よく買うスーパーのパック牛乳がアルゼンチン産だと知って驚いたことがある。だから、そんな一般的でない牛乳を天使が所望する、というのも不思議な気がした。

 といっても、考えてみれば村には、牛や水牛がたくさんいるわけだから、そのミルクを所望するのも不思議ではない。すぐに製品化された牛乳を思うから、そうなるだけのこと。

 牛といえば、春耕祭(春耕節)という催しが、この4月にある。一年の豊穣を願って執り行なわれるヒンドゥー教の影響を受けた儀式である。例年、プノンペンで執り行なわれてきたが、今年はアンコール・トムの、象のテラスの前で執り行なわれるらしい。国を挙げての豊かさを願う大きな催しで、その儀式の主役となるのは、コブを持つ一対の大きな白い牛である。

 そんなことを考えながらこのメール原稿を書いていたら、「伝統の森」の池のほうからカランコロンと水牛の首にかけられた木鐸の音が聞こえ始めた。乾季のあいだ、餌を求めて放し飼いの水牛たちが「伝統の森」の桑畑に侵入してくる。しかし、以前に比べればその数は減った。昨年は、そんな侵入してきた水牛を捕まえ、森のみんなで食べてしまったのだから。

 「伝統の森」の池のほとりの水面に面したところで、まだIKTTの土地ではないところが200メートルほどある。そこが水牛たちの侵入路となっているのだ。陸地には境界の柵がしてあるが、池の中から侵入してくるために、なかなか防ぎようがない。しばらくして「水牛が!」と知らせが入った。見に行くと、池のこちら側の、工芸村エリアの一角にある桑畑に、大きな水牛が入ろうとしている。さいわい、そこには頑丈な柵がしてあるので、そのまわりで雑草を食んでいた。

 何人かの男たちが、その200キロはあるような大きな水牛を池の中に追いやり、そこから侵入地帯の奥の、10頭はいる水牛の群れを押し返している。例年なら「伝統の森」の住人の多くは、田舎に帰省してしまうのだが、今年は8割方が「伝統の森」に残っていた。おかげで、こういう緊急事態にも対処でき、助かった。腰に巻いていたクローマーを外し、パンツ一枚で水牛を追いかけ、池に入る男たち。手馴れたものである。なかには、パチンコを、水牛の群れにめがけて撃つものも。......やがて、そんな騒ぎもひとしきりして、収まった。

 「伝統の森」の池の水面を、カワセミが行き来する姿が見える。「伝統の森」には、いろんな種類の鳥たちがいる。なかでもカワセミはなかなか美しい。クーレン山のほうからくるのだと思うが、鷲も飛来する。でも、この鷲は、みんなが飼っている鶏やアヒルのひな鳥を狙うので、森のみんなからは嫌われている。

 「伝統の森」の池では、ピンクの蓮の花が満開に咲いている。蓮は、その実をおやつにする子どもたちにも人気なのだが、その花が池一面に満開に咲く姿はなんといっても美しい。

 でもこの蓮の池、「美しいものには刺がある」のたとえどおり、その茎は小さな棘で覆われている。それを知らずに、蓮の美しさに誘われ、池の中の揚水ポンプの取水口を掃除するために池に入ったはいいがスリ傷だらけになったことがある。でも、それも歩き方で避けられることを後から知った。これも、何かの教えかもしれない。無理してやろうとすれば、その棘が刺さり、その姿に従えば何の無理もない。美しい花の持つ教えなのかもしれない。

 「伝統の森」の住人の多くは、朝からトラックの荷台にてんこ盛りに乗って、アンコール・ワットにお参りに行き、まだ戻ってきていない。新年の一日を、みんなが楽しく過ごしているのだと思う。

 たくさんの困難な課題も抱えながらも、しかしそれにもめげず、新しい年が明けた。「伝統の森」、そしてIKTT、そしてすべての皆さまにとって、新しい年が実り多きよき年であることを願いながら、ここに新年のご挨拶とさせていただきます。

更新日時 : 2010年4月14日 18:40

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